ローテンブルク
3日目の午前中はローテンブルクの観光です。
ここローテンブルクでまず目に付くのはのどかな木組み建築の街並みです。ロマンチック街道沿いのこの小さな街を散歩すると、まるで何世紀も前の過去の世界に引き戻されるかのような錯覚を覚えます。堂々とした市庁舎、高くそびえ立ついくつかの塔、そして堅固な城壁、教会と都市貴族の館は、当時のドイツ帝国自由都市の過去を物語るものです。ここでは歴史がただ年数を示すだけのものではなく、いたる所でまだ生き生きと感じられます。たくさんの木組み建築の建造物と堂々とした防衛設備を伴った街のたたずまいは、中世以来の姿を保っています。
以下,訪れた観光スポットの主なものをご紹介しましょう。
市庁舎
観光は、町の活気漲る中心、マルクト広場の西側いっぱいを占めている市庁舎から始まりました。
堂々たる市庁舎は二つの部分から構成されています。ゴシック様式の市庁舎は鐘楼とともに1250〜1400年間に建てられ前方のルネッサンス建築物は1572〜78年間に、また1681年に下部のバロック様式のアーケード突出部が付け加えられた由。3様式が見事に調和した傑作といえましょう。それに、鐘楼が独自の土台を有していることも、建築学上大きな意味をもつものであるとか。
市参事会員酒場
同じくマルクト広場の北側に立つ建物で、かつては市参事会員専用の酒場でした。重要なのはその主時計です。時計自体は1683年に取り付けられましたが、1910年以来、仕掛け時計となって、11時から15時までと20時から22時までの毎正時に左右の窓から人形が出て、伝説的史実物語を演じてくれます。
この話は、カトリック軍がプロテスタントの町ローテンブルクを襲撃して占領した1631年に遡ります。カトリック軍のティリー将軍は町を略奪・強奪すると脅しました。ただし、誰かが3.25リットルのワインを満たした大杯を一息で飲み干したら容赦すると約束したのです。ヌッシュ市長が見事この偉業を成し遂げ、それにより町を救ったというのが話の顛末です。
仕掛けは市長がワインを飲み干す場面を中心とする他愛ないものですが、当該時刻前になると大勢の観光客が集まってきます。
ちなみに、現在この建物にはツーリスト・インフォメーションが入っております。
ゲオルク噴水
マルクト広場の南の端にあり、別称ヘンデリックス噴水とも呼ぶそうです。
ローテンブルクの町は丘陵の上という地理的条件のため、水の供給は死活問題でした。そのため町には、飲料水のためばかりでなく、消火貯水池としても機能した40箇所を超える噴水が設置された由。このゲオルグ噴水は高さ8メートル、容積10万リットルの町最大のもので、装飾は後期ルネッサンス時代(1608年)のものだそうです。
プレーンライン
プレーンラインとはラテン語で「小さな場所」という意味で、ドイツの中世を伝える町の景観として最も美しいもののひとつです。右はタウバー渓谷の二重橋から直接通じる道、左は南の郊外からの乗り入れの道という二つの重要な乗り入れ道により、小さな三角形の広場ができており、そのためにプレーンラインという名が付いています。その後方にあるのがジーバーの塔です。1385年頃に建立されており、したがって第二の市壁リンクの市門ということになります。
聖ヤコブ教会
14世紀から15世紀にかけ、ドイツ騎士修道会が市民からの寄付を得て建造したゴシック様式の建物で、本祭壇の「12使徒の祭壇」は、15世紀に造られた開き扉のある立派なもの。また西側にはリーメン・シュナイダーノの傑作といわれる「聖血祭壇」があります。
ここの見学は有料で、希望者のみ一人1ユーロ(約170円)とられましたが、その価値は十分ありました。
教会を南西から撮った外観です。2本の塔は形が違います。これは南側の塔ですが、この塔をデザインした職人は、北側の塔の出来があまりに見事なので、絶望して塔から身を投げたという逸話があります。 |
東側にある本祭壇で、12使徒祭壇とも呼ばれます。1466年に奉納されたもので、主要部分は十字架のキリストを囲む聖人たち、最下段から12使途が見上げる構図になっています。 |
西側にある聖 血の祭壇で、主要部分は菩提樹の幹から彫り出した最後の晩餐で、1505年の作です。 |