ユダヤ人の歴史とパレスチナ問題(2)
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第2次世界大戦が終了すると、ユダヤ人が450万人も住んでいたアメリカが、パレスチナにユダヤ人国家をつくることを支持し始める。 国連のパレスチナ分割案
→ 内乱 イスラエル国建国宣言 初代首相 ベングリオン パレスチナ難民の始まり 第一次中東戦争 シリア、レバノン、トランスヨルダン(現ヨルダン)、イラク、エジプトの5カ国がイスラエルに攻め込む。 (アラブ兵 153,400人 vs イスラエル兵 30,000人) イスラエル陥落寸前のところで、イギリスによる2週間の休戦協定 → イスラエル側の逆転勝利。ヨルダン西岸とガザ地区を除く地域がイスラエル(ユダヤ人)のものになる。 第二次中東戦争(スエズ戦争) イスラエル軍、シナイ半島を制圧するも、国際世論の非難により撤退。 第三次中東戦争(六日間戦争) イスラエル領土を4倍に拡大。ヨルダン領であったエルサレム旧市街も取り返す。 アラファトがPLO(パレスチナ解放機構)の議長になる。 ヨルダンにPLOを頼りにしたパレスチナのゲリラ組織が集まりすぎ、徐々に無秩序状態に。→ PLO、ヨルダンを追われ、レバノンに逃れる。→ 今度はレバノンがイスラム教徒 VS キリスト教徒の内戦状態に。 第四次中東戦争 エジプトのサダト、イスラエルからシナイ半島を取り返すため攻撃。イスラエルが反撃に成功したところで停戦。 イスラエル軍、パレスチナ・ゲリラを討つため、レバノンに攻め込む。ベイルートを占領してPLOを攻撃。 キャンプ・デービット合意 エジプト → イスラエルの存在を認め国交をもつ。 イスラエル→シナイ半島をエジプトに返還。ガザ地区ヨルダン川西岸地区のパ レスチナ人に自治権を認める。
アラファト、次の受け入れ先であるチュニジアへ。 第一次インティファーダ始まる。 イスラエルの占領に対するパレスチナ人の抗議運動 パレスチナ人の子供や若者たちは、イスラエル兵を見ると石を投げて抗議。 しかし、ロードマップの第一段階「テロと報復の停止」すら達成できすにロードマップは破綻----- 「テロリストをイスラエルに入り込ませないようにする」という目的で、シャロン政権はヨルダン川西岸にコンクリートの壁を作り始めた。高さ4〜8m、最終的には680kmにもなる壁となり、これによりヨルダン川西岸の50%以上がイスラエル側に取り込まれることになる-----→ 国際的な非難の的になる ↓ ガザ地区の返還にいたる---- |