フィリッピン通貨
フィリッピンの通貨はペソ(Piso)です。
紙幣の種類は、1000、500、200、100、50、20ペソがあります。以前は10ペソもあったようですが、いまは発行停止になっています。
そして硬貨は10、5、1ペソのほか、補助貨幣としてセンタボという単位(1ペソ=100センタボ)があり、硬貨として25、10、5センタボがあります。
我々が行った時の為替レートは、10000円の両替で、4700ペソでしたから、1ペソは2円強といったところで、非常に換算しやすかったです。
以下最も多く流通している20ペソと50ペソをご紹介しましょう。
20ペソには、フィリッピンが共和国になる前のフィリッピン連邦時代の初代大統領ケソン氏の肖像が載っています。
50ペソのほうには、同じくケソン氏とともにフィリッピン独立運動に尽力したオスメーニャ氏の肖像があります。
なお、ご参考までに、両氏の略歴は以下の通りです。
ケソン Manuel Quezon 1878〜1944 フィリピン・コモンウェルスの初代大統領。在任1935〜44年。ルソン島タヤバス州(現ケソン州)バレルに生まれ、サント・トマス大学でまなび弁護士となった。1905年に出身地タヤバス州の知事となり、07年には最初の一院制議会の議員になった。09〜16年にワシントン常駐代表をつとめてフィリピン独立のために奔走、35年には新たに組織された独立準備政府をもつフィリピン・コモンウェルスの初代大統領になった。第2次世界大戦中の日本のフィリピン侵略に際しては、アメリカに脱出し、ワシントンに亡命政府をつくったが、日本軍の敗北をみることなく死亡した。ケソンシティやケソン州は、彼にちなんで名づけられた。
オスメーニャ Sergio Osmeña 1878〜1961 フィリピン独立運動の指導者。セブ島セブ市に生まれ、法律家としての勉強をつむ。1907年にはじめてひらかれた一院制のフィリピン議会の議員に選出された。16年までその議長をつとめ、16年に二院制になってからは、ひきつづき22年まで下院議長をつとめた。アメリカからのフィリピン独立の交渉で活躍し、35年に独立準備政府をもつフィリピン・コモンウェルスの地位をえるのに貢献した。
コモンウェルス成立後は、副大統領に2度えらばれた(1935、41)。太平洋戦争中、日本軍が侵略してくると、ケソン大統領とともにアメリカにのがれて亡命政府を樹立、1944年にケソンが死去すると、あとをついだ。しかし、独立したフィリピンのはじめての選挙(1946)ではやぶれ、第一線からしりぞいた。
( 以上、「エンカルタ百科事典」より )