8日目(2)

( 107)


ハラン遺跡 ウルファ カジアンテップ イスタンブール

 

ハラン遺跡

バスを降りた途端、強烈な日差しに思わず「暑い!」と叫んでしまう。ここはトルコ東部で一番暑いところだという。

ここは、かつてアブラハムが神の啓示を受けて約束の地カナンへ向かう途中に住んでいたといわれる旧約聖書ゆかりの地で、アラビア世界でも有数の学術都市であったとか。

 

今は廃墟となり、古い城壁や日干し煉瓦の家々が残るのみであるが、とんがり帽子の屋根が連なる様は、実にのどかで落ち着いた雰囲気を漂わせている。

 

1軒の家を訪問し、内部を見せてもらった。

中庭を取り囲むように日干し煉瓦の家が建てられており、ここに一家族が住む。(下左)

暑いところだけに、少しでも日差しを避けたいという知恵であろう。

内部は冷んやりとしていて、なかなか涼しい。たいがい4つのドームの下が1部屋になっており、居間には絨毯が敷き詰められ、結構小奇麗である。(下中央)

一方、中庭にはウスや脱穀板、アイラン作りの羊の皮袋などがあり、素朴な生活様式がうかがえた。(下右)

なお、この村の住人はすべてアラブ人で、100150年前から住みついたそうである。

 

アブラハムのモスク

ハラン遺跡を後に、先ほど素通りしたウルファの町に戻り、アブラハムのモスクを見学する。

ここウルファはBC3000年頃からの歴史をもち、アナトリアとメソポタミアを結ぶ重要な位置にあったため、古くからアレキサンダー王を初め多くの要人がこの地を訪れたとか。また、アブラハムが生まれ、ゲオルギウスらの聖者が住んだことから「預言者の町」としても有名で、現在も巡礼者が絶えないという。

アブラハムのモスクは、預言者アブラハムが要塞の立つ丘から投げ落とされたといわれる場所にあるが、ローマ時代の鐘楼があるのをみると、この建物自体は元は教会として建てられたらしい。

内部は実にシンプルな造りであるが、モスクの前に「聖なる池」があり、多くの人の憩いの場となっているようだ。

この池には伝説があり、アブラハムが異教を唱えたため、当時のアッシリア王ネムルートの怒りを買い、火刑に処そうとしたことから、神がその時、火を水に、薪を魚に変えたとか。池では今でも鯉と思しき魚が多数泳いでいるが、この魚を捕ると目がつぶれると信じられているそうである。

 

以上で観光日程はすべて終了し、あとは明日イスタンブールでの自由時間を残すのみである。

ウルファを1342分出発、一路、空港のある町、カジアンテップへと向かう。今日は金曜日で礼拝の日。町は礼拝を終えた人々で賑わっている。

出発後、直ちに先ほどウルファのレストランで仕入れたボックス弁当がサーブされる。朝も弁当、昼も弁当である。昔、「今日もコロッケ、明日もコロッケ------」という歌が流行ったのを思い出す。

弁当の中身は、ケバブ・サンドに、サラダ、シュルツク(クレープ生地の中にピスタ材を砕いて入れた菓子)であったが、空きっ腹のせいか、とても美味しく感じた。

 

途中、イチジクの木に囲まれたビレジキという町のガソリンスタンドでトイレストップをし、1605分ころカジアンテップの町に入る。人口60万を擁するこの町の考古学博物館には、世界一級品のモザイクが展示されていると聞いているが、残念ながら、我々は空港へ直行せねばならない。

1628分、カジアンテップ空港着。搭乗手続きを待つ間、イスタンブールへ帰るという中年のトルコ人女性と談笑する機会を得たが、そのなかで「トルコの人たちはみな日本に好意を持っている。技術のほとんどは日本からのもの」と言われたのには、日本人の一人としてちょっぴり誇らしく感じた。

1729分、TK689便にて、一路イスタンブールへと飛び立つ。まさに「飛んでイスタンブール♪」を地で、否、空で行く。

席はほぼ満席であった。サンドウィッチ、クツキー、水などの軽食が供されたが、後に夕食が予定されているので、軽く口をつけただけで済ます。

 

1905分、イスタンブールのアタチュルク空港に着陸、荷物を受け取った後、バスへ。

1945分、バス出発、旧市街へと向かい、中心部にあるホテル「オラン」に着いたのは2014分になっていた。

直ちに8階のレストランに案内され、最後の晩餐となったが、何とそれがビュッフェ方式。朝・昼食と弁当だった上に、夜はビュッフェとは! ガックリときて、しばらくは料理を取りに行く気にもなれなかった。その上メニュもお粗末で、みな不平たらたら。添乗員さん、苦情の矛先を一身に受けて気の毒だった。

聞けば、この旅行社がこのホテルを利用するのは初めてとのこと。何やら嫌な予感がして、鍵を受け取り、部屋に入ってみると、これがご覧のように狭い。自分は一人で利用するからいいようなものの、これでは日本のビジネスホテル並みで、二人では随分と窮屈であったろう。

確かにロケーション的には申し分ないのだが、このホテルについては後のアンケートでだいぶ苦情が出たであろうことは想像に難くない。次回催行時には改善されていることを望みたい。

ともあれ、トルコでの最後の夜も更け、明日の帰国出発時までの時間を残すのみとなった。

 

(本日の歩数 10289

 

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