第4日目
(11月25日)
オリンピア → デルフィ
6時15分、起床。 昨夜はなぜか寝付かれず、ほぼ1時間ごとにトイレに起きたので、寝不足甚だし。
7時に朝食に行く。ビュッフェ・ディッシュのなかにブドウがあった。
出発前のひととき、フロント・マンを相手に、覚えたての「カリメラ」(おはよう)、「エフカリスト」(ありがとう)、「アディーオ」(さよなら)などの言葉を使ってみる。
チェックアウト後、ホテルのまわりを散策。昨夜は雨が降ったのか、道が濡れていた。
8時57分、バス出発。2代前の市長だったという現地ガイドのクートランス氏が乗り込んできて、英語で挨拶。ものの5分ほどでオリンピア遺跡に到着する。
ここは文字通り古代オリンピックの発祥の地。ギリシアの自由市民達が涼風にうたれながら、選手達に歓声をあげたBC1500年代の光景が目の前をよぎる。
体育館は、BC2世紀の室内競技場で、屋根付きの雨天競争路もあったとか。
パレストラは、BC3世紀のレスリング、ボクシングの競技場で、今なお多数の柱がその威容を誇っている。
(左写真)
レオニデオンは、44本の太い柱で建造されたBC4世紀当時のVIP専用ホテル。今は柱の基礎部分のみが残り、当時を偲ばせる。
テオコレオンは、神官の家。その奥がゼウス像の工房跡。高さは14mもあったとか。
ゼウス神殿は、今は柱が数本残っているだけだが、当時は高さ20m、幅28m、長さは65mもあって、その中に高さ12mものゼウス像があったそうだ。
競技場は、1周192mのトラックを4万人を収容する楕円形の観客席が取り囲んでいた。そしてスタンドとトラックの間には確かに幅40cmの水廊跡があった。この水廊に微妙な勾配を設け、競技者や観客がリフレッシュするための冷たい水を常時循環させていたとは ! 改めて古代ギリシア文明の底の深さを思い知らされた。
スタートラインと思われる長い石の枠組みがあったので、まずは、元オリンピア市長のガイド氏と写真に収まった後、遠い古代に思いを馳せ、そこから走ってみた。(下写真)
BC7世紀頃の建造で、最も古い神殿のひとつ。
残っている柱の太さなどがバラバラなのは、幾度も破壊と再建が繰り返されたためとか。
ヘラ神殿のすく前に、お馴染みの聖火の採火場があった。(右写真前方)
オリンピックの度に、ここに太陽光線を当て、採火する儀式は、テレビで4年ごとに見られる光景である。
総じて、オリンピア遺跡は、ローマのフォロ・ロマーノに比し、規模は大きいが平板な感じであった。
ここで思わぬハプニングあり。
元市長のガイド氏が、いつの間にやらオリーブの葉で冠を作り、手に持っていたが、先ほどトラックで走った人に褒美としてあげるという。
図らずも私がその栄に浴することになり、皆の見守るなか、授与式(?)が行われる。(左写真)
さすが元市長だけあって、味なことをやるものである。
ここには、19世紀から2世紀にかけてドイツ考古学会の発掘した出土品を中心に、オリンピア史の重要な文物が展示されていた。
なかでも圧巻は、「ディオニソスをあやすヘルメス」像だろう。(右写真)
これは、かつて日本が何とかして借り出そうとした逸品で、ギリシアではこれはギリシアが誇る世界の宝として、絶対に海外への持ち出しを禁じているものだそうだ。
正面から見た姿はもちろん素晴らしいが、後ろへまわってみて驚いた。臀部のあたりのふくよかな様は、まるで生きているようだった。これは写真では絶対に感じられないものだ。
11時46分、バス出発。途中、近代オリンピックの父、クーベルタン男爵の記念碑を寸見後、街なかでガイド氏と別れ、12時03分、レストラン「タラカ」に到着。
ここでも例の4人でテーブルを囲み、飲み物はグラスワインをとる。400ドラクマだった。料理は、揚げシュウマイ風のもの、キャベツとトマトのサラダ、鶏の蒸し焼き、オレンジとリンゴであった。
食事が一段落したところで、添乗員のYさんの音頭で、自己紹介が始まる。先ほどオリーブ冠を授与された野口さんから…何とトップバーターになってしまった。ギリシアあたりに来る人は、やはりみな旅慣れており、自分と同様、早めに退職して旅を楽しんでる人も数人いて、意を強くした。
13時29分、出発。ここで、木下さんから、これからの行程と、日常の挨拶用語の説明あり。
後ろの席の人たちが、旅行話に興じているのを聞きながら、うとうとする。14時35分、パトラまで22キロの表示が見える。 左手には海が見えだし、ギリシア本土の山々が霞んで見える。
14時56分、聖アッテラ教会(左写真)前に到着。
白壁で複数の丸屋根をもつ。イスラム寺院を思わせる造りだ。
内部を見学。正面のマリア様の絵が印象的だった。
15時11分、バス出発。パトラの街なかを行く。狭い一方通行の道の両側におびただしい駐車の列。そこを抜けて更に10キロ走り、15時27分、リオ港に着く。直ちにギリシア本土行きのフェリーに乗り込む。
15時35分、出航。カモメが餌を求めて船に群がる。後尾に座り、M夫妻と談笑する。
20分足らずで、対岸のアンデリオ港に着き、再びバスで出発。海岸べりの狭い道。入り江の感じが葉山の街を彷彿させる。バスはコリントス湾を右に見ながら、今日の宿泊地デルフィを目指す。
途中30分ほど、「Clvino Beach」という表示のある店でトイレ休憩。店の前のブーゲンビリアの花が綺麗だった。遠くにはクリシューク島が見えた。
17時36分、正面にようやくデルフィの街の灯りが見えてきた。ボーキサイト、セメント、鉄の産地とか。道理で赤土が目立つ。それにデルフィにはオリーブの木が200万本もあるそうだ。
18時02分、「ホテル・アマリア」着。例によってYさんから今夜から翌朝にかけての説明があった後、18時15分、213号室に入室。
スーツケースがなかなか届かず、みな廊下に出てきてイライラ。
その間、風呂にお湯を出し、記念にオリーブ冠を頭にセルフで写真に収まる。(右写真)
次いで入浴。暖房の吹き出し口が天井際にあるので、部屋がなかなか暖まらない。
19時30分、夕食へ。食堂の一番奥の壁際にいつもの4人で陣取る。
飲み物はビールをとり、メニュは、スープ、ほうれん草入りのチーズパイ、ロースト・ビーフ、それにリンゴであった。段々食べられるようになってきた。このほかに旅行社からのソーメンの差し入れがあり、和食が恋しくなってきたときだけにみな大感激。聞けばこれは添乗員のYさんが日本から持参し、自ら厨房を借りて茹でたものとか。E旅行社特有のサービスらしい。
夕食後、フロントで両替し、21時20分、帰室。歯を磨き、翌日の準備などして、22時15分、就寝。本日の歩数は8465歩で、これまでで最高であった。