第7日目
(11月28日)
ロードス島 → アテネ (ロードス市内、リンドス)
6時20分起床。昨夜は雨が降ったらしく、外は濡れていたが、幸い今日は晴れそうだ。
7時からの朝食時間を待ちかねるように階下に降りると、やはり早起き組のD夫妻とまた一緒になる。
帰室したところ、どうも腹の調子がおかしいので、大事をとって正露丸を飲む。
歯を磨き、旅装を整えた後、あまりによい天気なので、部屋の窓から海に向かって写真を撮る。ちょうど白い大型旅客船がくっきりと見えた。アテネに向かう定期船だろうか。(左写真)
8時35分チェックアウト後、まだ若干の時間があったので、海岸に出てみる。トーキー・アイランドが見えた。
ホテル前まで戻ってくると、40代半ばくらいの現地男性に英語で声をかけられる。実はこの男性、今日の現地ガイドのミカエル氏で、添乗員のYさんを捜しているところだった。
観光中預ける荷物を男女それぞれの指定された部屋に置き、8時58分、ロードス島の観光に出発する。
ちなみにここロードス市はロードス島の最北端に位置し、島の表玄関で人口は3万とのこと。
9時05分、港を見下ろすモンテ・スミスの丘に着き、写真ストップ。
最初の出会いで親しくなった先ほどのガイド氏と写真に収まる。古代の石のかけらなども拾ってくれた。
9時19分、ロードス市郊外にあるアクロポリス古代遺跡に到着。劇場と競技場の遺跡を見学する。
ここはどういう訳か、ガイドブックには載ってないところだ。劇場は規模こそ小さいが、ほぼ完全な形に修復されている。聴きそびれたが、恐らく今でも使われているのだろう。
競技場は周りを林で囲まれ、落ち着いた雰囲気を呈していた。走ってみたかったが、あいにく昨夜の雨で地面がぬかっていたので断念する。
9時32分出発。
ロードス島は1948年から正式にギリシア領になったとのこと。昔はこの島に蛇が多かったので、鹿を連れてきて殺したそうだ。そして今は鹿はロードス島のシンボルになっている由。
9時48分、ガイド氏馴染みのセラミック工場に立ち寄る。工場内を寸見後、展示即売場へ。ここで日本ではまず買えない絵柄のコースターを1セット購入する。
10時26分、セラミック工場を後にする。ここで恥ずかしい一幕あり。先ほどの買い物の際、5000ドラクマを1000ドラクマ5枚に両替したつもりが、受け取ったのは100ドラクマ紙幣だったのであわてる。しかしガイド氏がその場にちょうど居合わせて、私が出したのは500ドラクマだったことを確認していたとのこと。残金を調べてみるとその通りだったので、恥ずかしくて穴があったら入りたい気分だった。
バスは島の東側を海岸沿いに南下、古代都市リンドスへと向かう。バスが進むに連れ、やがて正面に入り江を挟んでリンドスのアクロポリスがシルエットになって見えてくる。
更に進むと、左手眼下にアクロポリスがリンドスの白い建物群と美しく調和して迫ってきた。
10時55分、リンドス遺跡の駐車場に着く。
直ちに遺跡入口へと、左右に季節はずれで閉店中の土産物屋が並ぶなだらかな登り道を進む。
途中、ごく小さな小学校があり、校庭にいた少年少女らがあまりに可愛かったので、写真を撮らしてもらう。(右写真)
やがて展望が開け、リンドスの街をバックに写真を撮りつつ、遺跡への道を登る。(左写真)
11時05分、遺跡入口に到着。今回は800ドラクマの半券を手に遺跡に入場。
まずはBC4世紀の階段遺跡を左に見つつ、AD14〜5世紀に造られた中世の階段を登り、城塞の最上階に出る。
このアクロポリスは、映画「ナバロンの要塞」の舞台になったところとか。断崖絶壁の頂上に位置しているので、まさに格好の場所だ。
ここでの一番の見もの「アテナ女神の神殿」は修復中とあって、木材の足場で囲われていたのはいかにも残念であった。
帰路、出入口のところで英語版のガイドブックを求めるも、あいにく売り切れ。
皆より少し早めに降り、駐車場からアクアポリスの遠景(左写真)をカメラに収めた後、リンドス湾の眺めを心ゆくまで楽しむ。いつまで見ても飽きない眺めだ。
ここで一句。「リンドスや ああリンドスや リンドスや」 お粗末でした。
おかげでこの光景を写真に撮るのを忘れてしまった。
12時03分、リンドスを後にロードス市への帰路につく。
ロードスは観光の街で、ここの人たちはシーズン中は休みなしで働き、11月〜4月半ばの間はアテネあたりへ行って遊ぶのだそうだ。1960年代から観光が盛んになり、とくに映画「日曜はだめよ」が公開されてからは、ドイツ人、イギリス人、フランス人らが多く来るようになり、したがって物価が高くなった由。
午前中に立ち寄ったセラミック工場の前を通過後、15分ほどでロードス市の旧市街西北部付近に到着、下車する。
既に12時を45分もまわっていたが、まずは観光ということで、アンポワーズの門(右写真)をくぐって中世の十字軍・聖ヨハネ騎士団が築いた城壁の中(オールド・アゴラ)へ。
13時、聖アントニウスの門をくぐって「領主の館」にはいる。 ここは当初は聖ヨハネ騎士団長、後にイタリア国王・エマヌエル2世、更にはムッソリーニも一時住んだいわれている館。内部はそこかしこに中世の趣は感じさせたものの、取り立てて歴史的遺産はないようだった。
30分弱の内部見学後、出口でロードス島のガイドブック(英語版)を買い、外に出る。
石畳の道を歩き、海岸方面に向かう。城壁の一角には酒屋があったりして、行くほどに何とも言えぬ趣があり、中世にタイムスリップした感があった。(左写真)
13時40分、再びバスで移動。途中、埠頭の突端にあり、トルコ人が造ったといわれるアギウ・ニコラス城塞(右写真)を撮るため写真ストップしつつ、今夜の宿泊ホテル「ASTIR PALACE」へ向かう。
13時52分、ホテル到着。手荷物を置き、直ちに歩いて10分弱のところにあるレストランへ遅い昼食に赴く。
飲み物はやはりビールにし、メニュは、前菜(薩摩揚げ主体のオードブル)、サラダ(トマト、キュウリ、人参、キャベツなど)に、メインはハマチに似たベルカという魚にポテトを添えたものであった。
昼食後は自由行動になったので、一旦ホテルに戻り、小憩後、M氏、S氏と3人で出かける。
再びオールド・アゴラ内を散策後、マンドラキ港に出、防波堤を歩き、先ほど写真を撮ったアギウ・ニコラス城塞を経て、鹿のブロンズ像のあるところまで足を伸ばす。
帰路、港にある教会の前でツアー仲間の人たちを見かけたと思ったら、中に添乗員のYさんもいて、ある男の子の洗礼式が始まるところだった。
男性が3才くらいの男の子を抱いていたので、お父さんかと思ったら、何とおじいさんとのこと。超美人のお母さんにも入ってもらって一家の写真を撮らせてもらう。快く撮らせてくれた。(左写真)
結局はそのまま洗礼式に列席の栄に浴したが、トイレを我慢するのには一苦労した。
終わって大急ぎで皆に先駆けてホテルへ向かうも、焦っていたため道を間違えてしまい、結局は皆より遅く帰宿、トイレに駆け込む。
夕食は18時20分から昨夜と同じレストラン「PICCOLO」に行ってとる。
例の4人でワインとミネラルウォーターを割り勘でとり、メニュは、トマトスープに野菜サラダにメインとデザートは何だったか?
20時過ぎにホテルを出発。20分ほどでロードス空港に着き、手荷物・身体検査を受けた後、アテネ行きの飛行機に搭乗。幸いにも添乗員のYさん、スルーガイドのKさんと隣り合わせになり、いろいろと情報を仕入れることができた。
21時12分離陸。ここでもジュースのサーブもそこそこに降下が始まり、21時59分、アテネ空港に着陸。
最初の晩で顔なじみのドライバーのパブロス氏とひろみさんが出迎えてくれ、ツアーバスでホテル「DIVANI PALACE ACROPOLIS」へ。
22時47分到着。旅装を解き、入浴し、就寝は今夜も0時をまわること15分であった。
(今日の歩数は何と18092歩であった。随分と歩いたものだ)