ペナン島

 

ペナン島は、インド洋に浮かぶ東西15km、南北24kmの「東洋の真珠」「インド洋のエメラルド」と謳われるアジアを代表する老舗リゾートである。

18世紀後半、ケダ州のスルタンとの条約で、イギリスに植民地として割譲され、当時はプリンス・オブ・ウェールズ島と呼ばれていた。

ペナン島は2つの顔を持っている。ひとつは北部海岸を中心とするビーチリゾートとしての魅力。賑やかなビーチ、アジアらしく活気ある屋台街やトロピカルフルーツの露店、多民族を象徴する様々な寺院、ゴルフにマリンスポーツ、バティック体験など幅広いアクティビティなどが楽しめる。もうひとつは島の中心都市、18世紀から英国極東貿易の拠点として繁栄してきたジョージタウンのエキゾチックな魅力。コロニアル調の建物と、マレー、中国、インド式の建物が相交った町並みは、いわば文化・貿易の交流地として栄えた当時を物語っており、2008年7月には、マラッカと共にマレーシアでは初のUNESCO世界文化遺産に登録されている。

我々は、午前中のオプションを含め、このジョージタウンを中心に観光した。

以下、その主なものをご紹介したい。

ペナン植物園

まずは、ジョージタウンに入る前に、その郊外(北西)に位置するペナン植物園に行き、珍しい熱帯植物を30分余り見てまわる。30ヘクタールにも及ぶ広大な敷地内に、数百種類に及ぶ南国の花々を始めとした熱帯植物が植えられている。園内には滝や遊歩道等もある他、小動物や鳥類も飼育されている。

木や花など植物名については、私は全くの音痴であり、それぞれの名前をご紹介できないのは残念であるが、観賞した主なものの画像をご披露することでご容赦願いたい。

寝釈迦仏寺院

植物園を後に10分あまり南東に走ってジョージタウンの郊外にある寝釈迦仏寺院に着く。

ここは、正式名を泰佛寺(ワット・チャヤマングカラム)というタイ式仏教寺院で、世界で3番目に大きい全長33mの寝釈迦仏が祀られており、1958年に建造された建物は、極彩色の彫刻などで飾られていて、入口には2体の猿神と4体の龍の像が寝釈迦仏を守るように立っている。

全身に金箔を纏い、穏やかな表情で横たわる寝釈迦仏の姿はまさに圧巻で、そのあまりの大きさに全身像を一つの画像に収めるのに苦労した次第。

寝釈迦仏の後ろには、干支の12支に対応した仏の坐像が並んでおり、同行の一人がご自分の干支の仏像を撮っていたので、私もそれに倣い、子年対応の仏像をカメラに収めた。ちなみに中国では イノシシ ではなく ブタ を表すとか。

ビルマ寺院

寝釈迦仏寺院の向かい側にある、マレーシア唯一のビルマ寺院。ビルマ式寺院の特徴である黄金のパゴダがあり、堂内には、やはり巨大な釈迦像があるが、こちらは寝仏ではなく立像(高さ10m)である。参拝者が身体の悪い部分と同じ場所に金箔を貼れば治るという信仰から、釈迦像は金箔で覆われている。この寺院があるのは、かつてビルマ人集落があった場所。アジア各国から人々がペナン島に移入したことが伺える。

釈迦像の後ろにある部屋には、ここでも多数の仏像が左右に並んでいたが、こちらは坐像でなく、いずれも立像ばかりで、タイ式寺院との違いを特徴付けている。堂内には、やはり金箔の釈迦像があるが、こちらは寝佛ではなく立像である。

寝釈迦仏寺院に比べ、規模や造りなど全体的に質素な感じがしたが、これはやはりタイとの国力の差に起因しているのであろうか。

見学を終えて外に出ると、実直そうな男が象牙で作られた梟の置物を売っていた。一言も発せず、身ぶり手ぶりで説明する。聾唖者である。これで生計を立てているのであろう。気の毒になり、小物を一対購入した次第。

コーンウォリス要塞

ビルマ寺院を後に東に向かってジョージタウンに入り、次の観光スポット コーンウォリス要塞へ。

ここは、ペナン島の発見者であるフランシス・ライト提督の上陸を記念して、その上陸地点に築かれた要塞。ジョージタウンの北東端に位置し、巨大な石垣とマラッカ海峡に向かって設置された大砲や武器庫が今も残っているほか、後に建てられたライト提督の銅像もある。

なぜか、最突端に置かれた大砲には、花を供えて祈りをささげると6人の子宝に恵まれるとの言い伝えが残されているとか。なお、この大砲は、発砲する機会が一度もなかったとのこと。
大砲には内陸に向けたものもあり、中世の城を模した跳ね橋まで見られることから、海上からだけでなく、陸からの敵の侵入にも備えていたことが窺え、興味深いものがあった。

クー・コンシー

次いで、ジョージタウン内を南西に5分ほど走ったところにあるクー・コンシーへ。

ここは、ペナンに数ある「コンシー」(中国式廟)のなかでも最も美しいとされている建造物で、中国南部から渡ってきたクー氏が子孫のために建てた霊廟である。1898年に建立されたが火災にあい、現在のものは1950年に再建されたものとか。建物全体の重厚感もさることながら、重さ25トンにもなる重厚で緻密な屋根や外壁や柱などに刻まれた彫刻は圧巻で、その彫刻の意味は分からなくとも十分見応えのあるものであった。

ふと、廟内某所の壁を見上げると、似たようなものを見た覚えのあるモノクロの絵が飾られていた。これは、恐らく、蜀の劉備が家来とともに諸葛孔明を軍師に迎えるべく訪問したところを描いた「三顧の礼」を描いた絵に違いなかろう。

また、先生に引率されて見学中の小学生の姿も見られ、この廟がいかに現地の人にとって貴重な存在であるか分かるような気がした。

 

以上にて午前中のオプショナルツアーの観光を終え、オプション最後の締めくくりとして、ジョージタウン中心部にあるホテル「CITITEL(龍城大酒店)内の「中華海鮮魚翅」にて飲茶のテーブルを囲む。

総勢7名なのでゆったり。また、いつものメンバーと顔ぶれが違うので話も弾み、素朴ながら結構美味な昼食を楽しむことができた。

非常に話し好きの男性がおり、その人は7人グループで参加している中の一人だったが、このオプションにはそのうち3名の参加にとどまっていたので、どういう間柄なのか聞いたところ、7人は特別の間柄ではなく、単に他のツアーで意気投合し、その後連絡しあって同じツアーに参加しているという。一対一或いは二組のカップルの関係では、そういう例にはいくらでも出会ったことがあるが、7人(4)ともなると-----これは珍しいと感じた次第。

 

トライショー試乗

昼食を終え、オプショナルツアーに加わらなかった他の19名と合流後、まずは、二人ずつ名物のトライショー(人力三輪車)に乗り込み、ジョージタウンの中心部(インド人街周辺)を巡ること約20分、歴史の香りとコロニアルな風情の一端をほんのちょっぴり垣間見た次第。

このトライショー、一昔前までは地元の人々の大事な足だったが、現在では観光用に特化し、マレーシア内の主要観光スポットに常駐しているとか。

水上生活村

次いで、海上にせり出した家が集まる水上集落へ。ここは、「姓林橋」(LIM JETTY)という19世紀中期に中国の福建省ら渡ってきた民族の子孫が桟橋を中心に集住しているペナンの中でも古い村の一つで、高層ビ

ルなど近代化が進む街の風景をバックに、そこにへばりつくように展開している集落。その落差は相当なものだが、今なお、一昔前の生活スタイルを崩さない村人の強い意思が感じられ、器用に水上で生活している人々の生活を垣間見ることができた。

セント・ジョージ教会

昼食を終え、オプショナルツアーに加わらなかった他の21名と合流後、最初に訪れたのはセント・ジョージ教会。ここは、東南アジアで最初に建てられた英国国教会の建物で、創建は1818年の由。今でも毎週に日曜日にはミサのサービスが行われているとか。

大理石の床と尖塔が特徴のマドラス・スタイルの建築で、英国特有の雰囲気を楽しめると期待したが、残念ながら、目下修復工事中であり、内部はおろか、外観さえも、塀越しに尖塔部分が垣間見られただけであった。

ペナン博物館

次いで、セント・ジョージ教会に隣接するペナン博物館へ。ペナンの発展において重要な時期の写真や絵画、陶磁器やその他歴史的工芸・美術品が展示されており、特にペナン島へ渡って現地化した中国人(ババ・ニョニャ)に関する展示品が豊富で、一部日本人のものも見られた

館内は撮影禁止のため、写真で紹介できないのが残念である。ただ、入口の前に1818年創建当時の建物の写真が大きなパネルで展示してあり、歴史の重みを感じつつ入場したが、これと言って特筆すべきものはなかったように思う。もつとも、ペナンの歴史に造詣の深い方が見れば別だったかもしれないが-----

 

以上にて、ペナン島の観光はすべて終わったが、次いで、貴金属店、錫製品店、バティック製品店とこの種ツアー特有の土産店巡りに1時間半ほどつき合わされた後、一路南下し、ペナン空港近くの中華レストラン「呉潮記采館」にて最後の晩餐を楽しみ、終了後、1840分、空港着。搭乗手続きを経て、1950分、ペナンに残るガイドのトニーくんに別れを告げ、ペナン島におけるすべての日程を終了した。

 

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