8日目

(4月15日)

 

イズミール → ベルガマ → トロイ → チャナッカレ

 

8時30分、ホテルを出発。地中海沿岸沿いに北上すること70分、ペルガモン遺跡のあることで有名なベルガマの町に入る。

皆の希望もあり、30分ほど民芸品店で買物を楽しんだ後、遺跡観光に向かった。

 

ベルガマ

ここベルガマは、ヘレニズム時代からローマ時代にかけて栄えたペルガモン王国の遺跡で知られ、町はバクル川下流の平野北部に広がり、人口約10万で、タバコ、綿、イチジクなどの集散地、製綿などの地方産業の中心地になっている由。

この都市の歴史はアレキサンダー大王の死後、シリアとの戦いで戦死した後継者リンマコスの部下であったフィレダイロスがその財宝を受け継ぎ、ペルガモン王国を築いたという。

なお、現在名のベルガマはペルガモンの名が転じたものとか。

 

古代の都市は、丘の頂きから上市、中市、下市と広がり、下市は現在の市街地と重なっているそうで、見所はやはり芸術や学問の中心、ヘレニズム文化の集大成ともいうべき上市のアクロポリス(丘の上の城塞の意)である。

ただ、遺構の損傷が激しいため、前の日に壮大なエフェソス遺跡を観光した後では、ややもの足りなさを感じたが、それでも、ローマ皇帝トラヤヌスによって着工され、後継ハドリアヌス帝によって完成されたというトラヤヌス神殿はすべて大理石を使ったコリント様式で、当時の壮麗な建物を髣髴させるものがあり、一方、市街を見下ろすところに造られた2万人収容の野外劇場は、ギリシア文化圏内で最も急斜面の観客席をもつ遺跡として、印象的であった。

 

次いで、丘を下って、市街地のはずれにあるアスクレピオンという、古代ローマ時代の医療センター跡を訪ねる。

ここでは興味深い治療が行われていたという。

聖なる泉で身を清めた患者は、地下道を潜り抜けて円形の治療所に入る。上階には夢の部屋と呼ばれる小部屋があり、ここで患者は眠りにつく。やがて神の声が聞こえてきて、治療法や投与されるべき薬石の名が告げられる。実際には壁に埋め込まれた土管を通じて医師が囁きかけたのだが、この心理療法が驚異的な効果をあげたらしい。実際、治療所の壁には伝声管の一部が残っていて、興味深かった。

また、観劇や音楽療法なども試みられたらしく、施設の一部には劇場も残っている。

 

トロイ遺跡

ベルガマ市街のレストランで昼食後、更にエーゲ海沿いに北西に向かい、1640分、トロイの木馬で有名なトロイ遺跡に到着する。

ホメロスが大叙情詩「イーリアス」で情熱を込めて語り、それを信じたシュリーマンが劇的な発掘で脚光を浴びたトロイ。遺構は海岸線から遠ざかり、もはや素人目に感動するようなものは何一つ残ってはいないが、されどトロイ。その名は我々の心にロマンをかきたてて止まない。

遺跡入口の近くに、トロイ戦争のエピソードにちなんだ大きな木馬が置かれている。トロイは、初期青銅器時代から集落ができ、以後幾度も興廃を繰り返したため、遺跡は異なる時代の史跡が幾重にも重なっていて非常にわかりづらかった。それでも、かのトロイ戦争の現場に立ったという感慨は格別のものがあった。

 

トロイ遺跡観光を終え、更に30分余り北東に向かい、ダーダネルス海峡に面した港町チャナツカレに到着する。

チャナッカレはヨーロッパとアジアを隔てるダーダネルス海峡の中心都市であり、町自体はさして見どころはないが、トロイ観光の基点として多くの観光客が訪れるため、ホテルやレストランの数が多い。

幸い、我々のホテルは、海岸通りに面しており、部屋も3階の海側を割り当てられたため、眺めは絶好で、対岸・ヨーロッパ側のゲリボリ半島がすぐ目の前に迫って見えた。

そこで下手な一句を。

「対岸に 欧州霞みぬ 春今宵」

などと思いをめぐらすうちに夕食の時間になり、ホテル内レストランへ。2040分散会、本日の日程を終えた。

 

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