第7日目
(4月14日)
パムッカレ → イズミール
7時25分、ホテルを出発、まずは本日最初の観光スポット、パムッカレに向かう。
パムッカレ
20分ほどでパムッカレの石灰棚に到着する。
パムッカレは、「綿の城塞」を意味するとか。文字通り白一色の世界である。これは、流れ落ちる石灰を含んだ温水が、長い歳月の間に、幾重にも重なり合って段々畑のように広がり石灰棚を形成したもので、丘全体が白く覆われた光景は、まさに圧巻であった。カッパドキアほどの規模ではないが、これも世界屈指の奇観といえるだろう。
石灰棚のところどころに温泉水が流れている溝や、溜まった池があり、泳いだり、湯に浸かったりできる。時季的に泳いでいる人はいなかったが、足湯をしている観光客の姿がそこかしこに見られ、私も靴下を脱いで、アメリカのヴァージニアから来たという青年と談笑しながら、しばし足湯を楽しんだ次第。
余談であるが、この当時はまだ自由に出入りできたが、その後あまりの開発ラッシュのためか、今や温泉は枯れつつあり、そのため棚に湯を流すのは夏季の日中のみになってしまっているとか。また、景観保護の観点から石灰棚への進入は禁止されてしまった由。現在は展望台と遊歩道から眺めるだけとなっているらしい。
ヒエラポリス
ヒエラポリスは、石灰棚の上に広がる広大な遺跡である。ローマ支配下では、度重なる地震のつど再建され、2世紀後半のペストの大流行もくぐりぬけ、ビザンティン時代まで繁栄が続いたが、12世紀頃から衰退が始まり、結局セルジューク朝により滅ぼされた由。
我々が観光したのは遺跡のうちのほんの一部、北入口から近いネクロポリスのみだったが、1000を越す墓が並んでいるのにはびっくり。共同墓地としてはこの国最大の規模だそうで、ヘレニズム時代からビザンティン時代にかけて長い間利用されていたため、墓の様式は様々であった。
さて、パムッカレを後に、途中2度のトイレ休憩を挟み、3時間ほどでエフェソス観光の拠点であるセルチュクの町に着く。
早速、町なかのレストランで、やや遅い昼食の後、「聖母マリアの家」を経由、本ツアーのハイライトのひとつであるエーゲ海最大の古代遺跡都市・エフェソス観光に向かう。
聖母マリアの家
聖母マリアの家はセルチュクの町近くのブルブル山の中腹にある。
マリアの最後の場所は謎とされてきたが、18世紀末にアンナ・カテリーナという尼僧が、自身訪れたことのないエフェソスの家の様子を語ったのがきっかけで、その後マリアの家探しが始まり、アンナの語ったとおりのこの家を探し当てたという。
このように俄かには信じがたい経緯であるが、その後、1967年にパウロ6世が、また1979年にはヨハネ・パウロ2世もここを訪れ、この家をマリアのついの住処と認めたことから、今ではすべてのカトリック教徒が信じるようになっているということである。
内部は蝋燭の光だけで薄暗かったが、正面にマリア像が置かれ、神聖な雰囲気に満ちていた。今なお、祈りを捧げに来る人が絶えないという。
エフェソス遺跡
エフェソスはセルチュクの町の4km西に広がる古代都市遺跡で、古代七不思議の一つに数えられたアルテミス神殿を中心に発展してきたイオニア人の都市である。
ここに足を踏み入れた瞬間、そのスケールの大きさにまず驚かされた。遺跡は小アジア最大の規模を誇るとか。
奥に進むにつれ、巨大な野外劇場や陽光に煌く大理石の通りなどが輝かしい古代の繁栄ぶりを誇示しているように思われた。
目に入るものすべてがもの珍しく、まるで古代ローマ時代にタイムスリップしたように感じたのは私ばかりではあるまい。まさに充実、感動の2時間であった。
以下、遺跡の中で主なものをご紹介したいので、ここをクリックしてください。
さて、エフェソス遺跡を後に、買物する人のために40分ほど時間を割いた後、1時間20分ほど北に走り、ギリシアの詩人ホメロスの生誕地として知られるイズミールのホテル「カヤ・プレステージ」に到着したのは19時10分であった。
例によって、小憩後、ホテル内レストランで夕食をとり、本日の日程を終えた。