3日目

( 102)

エルズルム カルス

 

今日の日程は、ここエルズルムの市内観光の後、カルスまで約200kmの移動である。

エルズルムは、1853mの高地にある東部アナトリア最大の都市で、セルジュク朝時代の建築物に富んでいる町と聞く。

朝食から帰り、カーテンを開き窓から外を見やると、形のよい丘を背にしてエルズルムの町が広がっていたが、その間になにやら白い湖のようなものが見える。あれ!こんなところに湖が?と思ったが、よくよく見ると、それは霧であった。

どうぞ拡大してご覧あれ。湖のように見えないだろうか?

面白い眺めなので、カメラに収めた。

昨夜、夕食後にS氏がこれからタクシーで町なかへ行く予定と言っていたが、やはりこのホテルは町の中心からはやや離れているようだ。

 

チフレ・ミナレル

9時ちょうどにホテルを出発し、最初の観光スポット、チフレ・ミナレルに向かうも、9月後半から修復に入ってしまっているため、中には入れず、外観のみの観光となった。

チフレ・ミナレルとは、対になったミナレットのある神学校の意味だそうで、正面の入口に堂々と聳える2本の塔は圧巻である。

13世紀建造のもので、全体的にセルジュク朝の伝統的なデザインが施されており、入口には双頭の鷲やカーネーションなどのレリーフが刻まれ、石造りの重厚な建物である。

なお、内部には、かつては美しいレリーフや碑文が飾られていたが、1829年にロシアに占領され、持ち去られた由。

 

3人の王墓

次に訪れたところは、チフレ・ミナレルの南に5分ほど行ったところにあるユチュ・キュンベットレル。何やら舌を噛みそうな名前だが、これは3人の王墓という意味らしい。

12世紀に建てられたとのことであるが、実際の被葬者は未だに不明だそうである。一番大きな墓の一部に動物のレリーフが施されているのが見えたが、これは星占いの一種とのこと。

敷地内には入れず、鉄柵の隙間からの観光であったため、3つの墓を一枚の写真に収めるのに苦労したが、どうにか撮れたのが右の写真である。

 

ヤクティエ神学校

次いで、再びチフレ・ミナレルの前を通って、更に町なかを西へ向かって歩くこと600m950分、ヤクティエ神学校に着く。

この建物は、1310年の建造で、エルズルムで最も有名な歴史的建造物とのこと。ここエルズルムは、その昔「ヤクティエ」と呼ばれていたことから、この名がついた由。

逆光のため、建物全体を写すことができなかったのは残念であるが、背後からは、青とレンガ色の細かい網目文様に彫り込まれたミナレルが日の光を受けてキラキラと輝く様がとても美しく、印象的であった。

チューリップや鷲、ライオンのレリーフが刻まれた入口を入ると、内部は博物館となっていて、11世紀のセルジュク時代からの服装や調度品、陶磁器、装飾品などが展示されていたが、これらは特に目を引くものではなかった。

むしろ、ドームになっている建物中央の天井に幾重にも重なった葉のレリーフが施されているのが、いかにもイスラムを象徴しているようで、興味深かった。

 

ウル・ジャミィ

ヤクティエ神学校を後に、またもチフレ・ミナレル方面に戻り、その手前にあるウル・ジャミィに入場する。

ここは、当初の観光予定にはなかったところだが、チフレ・ミナレルが修復中で入れなかったため、その代替として選ばれたものである。

ウル・ジャミィとは大モスクという意味で、12世紀建造のエルズルム最古のモスクとか。

内部はガランとした広間になっていて、とても落ち着いた雰囲気が漂っていた。奥まったところには聖地メッカの方角を示すミフラーブ、そしてその右隣にミンバール(階段状の説教壇)があったが、これらはごく最近修復されたものとみえ、あまり興味を引かなかった。ただ、画面右上に見える木造のドーム(天井)は珍しく、時代を感じさせるものがあった。

 

この後、再び、ヤクティエ神学校前まで戻り、ここを基点に50分間のフリータイムとなる。

ガイドがバザールに案内するというので、数人で付いて行ったが、何とそこは、とある建物内にある黒琥珀専門のバザールで、同じような店がずらりと並んでいた。

もとより自分は興味がないので、サーッと周っただけで早々に引き上げ、写真を撮りつつ町を散策する。

以下はその模様である。靴磨きは一昔前の日本の街を連想させるし、子供たちの可愛さ・屈託なさは世界共通のように思う。

 

フリータイム後、1215分、付近のレストラン「MEAT DONER」に入り昼食をとる。メニュは、野菜サラダ、豆スープ、チキンケバブ、フルーツといったところであった。

 

さて、これにてエルズルムにおける行程を終了し、1338分、一路カルスに向け出発。

町を抜けてからは、左右一面が、大麦・小麦やジャガイモ畑というのどかな風景が展開していたが、途中、50分ほど走ったところにあるジョバンデデ橋にて写真ストップする。

この橋は13世紀にモンゴル人により造られたという由緒ある歴史的建造物の一つで、長さ128m、幅8.5m、高さ30mの7つのアーチを持つ石橋である。

確かに歴史の重みを感じさせる堂々たる構えであった。

ちなみに、ジョバンデデとは「羊飼いのおじいちゃん」という意味とか。

 

カラクルトという村のガソリンスタンドでトイレ休憩後、次に途中ストップしたのはサルカムシュという地名の一角にある黒曜石の産地(?)

道路に面した岩壁全体が黒曜石で覆われており、下には、その破片が多数落ちていた。石を投げつけると、なおもバラバラッと落ちてきた。

日本人観光客を乗せたバスは必ずここで一時ストップし、拾わせているとのことで、我々もご多聞に漏れず、皆それぞれ形のよいものを求めて拾ったが、なんら規制してないところを見ると、トルコ人にとって黒曜石は貴重なものではないらしい。えっ?私ですか? もちろん拾いましたとも------3つもね。

 

以後、途中、牛の大群に道をふさがれ、待機を余儀なくされながらも、1702分、カルスのシムエール・ホテルに到着、夕食は19時からとのことで、2時間近く余裕があるので、何人かはその間、町へ繰り出したらしいが、自分は部屋でシャワーを浴びて着替えをし、ベッドでしばしの休憩後、夕食に臨んだ。

ビュッフェ方式の夕食で、ちょっとがっかりであったが、ちょうどこの日は若手女性メンバーの一人、YTさんの誕生日とあって、ケーキのサービスがあり、本人のみならず、座が盛り上がって、楽しい夕餉のひと時となったのはうれしい誤算であった。

 

(本日の歩数 10,326

 

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