第4日目
( 10月3日)
カルス → アニ遺跡 →ドゥバヤズィット
5時25分、ひんやりと冷気を感じて目覚める。
そういえば、ここカルスの町は標高1700mの高所にあり、トルコで一番寒い町と聞かされていたっけ。寒いはずである。
8時57分、ホテルを出発し、まずは車で10分ほどのところにあるカルス博物館へと向かう。
カルス博物館
ここカルスは、これから行くアニ遺跡群への拠点となっているが、町自体はそれほど見どころに富んでいないため、町なかでの観光はこの博物館のみである。
小さな至って素朴な博物館で、しかも展示物には殆ど説明文が付されておらず、ガイドさんもあまり詳しいことは知らないみたいだったので、遺憾ながら充実した見学とはいえなかったが、それでも、1階には、BC5000年頃の壷、硬貨、ブロンズの斧、カルスにあったビザンティン教会の入口ドアや鐘、恐竜の骨や、ヨーグルト・バターを作る道具などが、また2階には、キリム、サモワール、嫁入り道具箱や手書きのコーラン、民族衣装などの展示があり、見る人が見れば、かなり価値のあるものであるに違いない。
ちなみに、鑑賞の一助にしようと、パンフレットを求めたが、その類のものは一切置いてなかった。
まだまだ観光地として成熟しておらず、したがって商売気も芽生えていないのであろうか。
アニ遺跡群
カルスを後に、東に進むこと48km、谷川をはさんですぐ向こう側が旧ソ連邦のアルメニアという国境沿いにあるアニ遺跡に向かう。
ここは、かつては10万の人が住み、1000にも及ぶ教会が建てられたとも言われる広大な遺跡である。古くはウラルトゥの都市であり、1239年に侵入したモンゴルの破壊を受けて廃墟になるまで、アルメニア、ビザンティン、セルジュク、クルドなどが城塞都市を築いた要衝の地であったという。
遺跡はアルメニア時代(AD952〜1064)のものが中心で、まさにアルメニア王国の夢の跡。ライオン門をくぐると、広々とした草原に、朽ちかけた教会、修道院、モスク、要塞などが散在する様は圧巻で、廃墟の美とはこういうものかと、まさに息を呑む思いであった。
また、教会の内壁に、薄くあるいは濃く残るフレスコ画も印象深いものであった。
それら遺跡群の数々、どうぞこちらをクリックしてご覧いただきたい。
さて、アニ遺跡を堪能した後、再び50km近く走ってカルスのホテルに戻り、遅い昼食をとる。
メニュは、サラダにカリニヤルク(ナスの中にひき肉を詰めてオーブンで焼いたもの)とピラフ、デザートにスイカと、なかなかの美味であった。今回初めて全部平らげた。
14時12分、出発。カルスを後に、ほぼアルメニアとの国境沿いに、一路ドゥバヤズィット目指し、南東に向かう。
1時間ほど進むと、左手前方に雪を戴くトルコ最高峰のアララット山が見え始める。
バスはやがて大平原からなだらかな丘陵地帯に入り、ジャガイモなどの野菜畑、時々現れる羊の群れ----などなど車窓からの眺めもなかなかいい。ただ、移動中の揺れで写真が撮れないのが残念である。
この辺りは雪が多いため、レンガ造りの家も柱だけはコンクリートになっているとか。アルメニアとの距離も近く、国境のアルパチャナ側越しに赤い教会や見張台なども見られた。
16時頃、ウードゥルという町のガソリンスタンドで小休止。右手前方のポプラ並木の向こうにアララツト山が大きく迫って見えた。
16時57分、ドゥバヤズィットのシムエール・ホテルに到着。文字通りアララット山が目の前である。ただ、部屋が山側と反対側とに分かれているため、公平を期すため、添乗員さんが全部の鍵をどさっとテーブルの上に置いたのを、各自思い思いの鍵を取ることで決めることとなった。
どの番号が山側かは全くわからないまま、私は一番最後に残ったものをとった。
部屋に入ると、窓越しに雲に覆われてはいるものの、でっかくアララット山の堂々たる雄姿が見えるではないか。やった! やはり残り物には福があったのだ。雲が切れる明日の朝が楽しみである。
気持ちよくシャワーを浴び、着替えた後、別棟のレストランで夕食(バイキング)のテーブルを囲み、20時過ぎ部屋に戻って、本日の日程を終えた。
(本日の歩数 10,523)