エピローグ
1. 帰 国 (1月20日〜21日)
第9日目の21日の朝、パキスタン航空便でカイロ空港を発ち、その日の夜、パキスタンのカラチにてトランジット泊し、翌早朝の便で、イスラマバード、北京と2箇所を経由して、その日の夜に成田空港に帰ってきました。
パキスタン航空は、今回初めて乗りましたが、単調な食事はともかく、クルーがほとんど男性でサービスが悪い上に、客層、特にパキスタン人乗客のマナーには辟易させられました。
食事中でも。後ろの人にお構いなくリクライニングを一杯まで倒したままにするわ、禁煙席でも平気でタバコを吸うわ、体をぶつけても"Excuse
me"の一言さえなく知らん顔等など、イスラム教は一体他人の迷惑についてどう教えているのか、と思ったくらいです。
それにトランジットで泊まったカラチのホテルにはあきれました。
危うくツインの部屋に簡易ベットを入れて3人が押し込められそうになり、これは添乗員を通さず、頑強に直接ホテル側と交渉し、何とかシングルの部屋を確保したものの、これがまた、それはそれはひどいものでした。
詳しいことは省略しますが、とにかくいつ掃除したかわからないくらい雑然としており、タオルなど使いかけのバスタオルがあるだけでした。
そのときは、もう2度とパキスタン航空利用のツアーには参加すまい、と心に決めた次第です。
(ただし、それからもう6年以上経っているので、今では改善されているかもしれませんね)
2. エジプトの概要
(1) 正式名 エジプト・アラブ共和国 (Arab Republic of Egypt)
(2) 面 積 100万1000平方キロメートル
(3) 人 口 6201万人
(3) 住 民 アラブ系エジプト人 98%、その他 ヌビア人、スーダン人
(5) 宗 教 イスラム教(国教) 90%、コプト教 6%、その他 2%
(6) 言 語 アラビア語、英語、フランス語
3. 国 旗
赤は革命で流された血を、白は平和と寛容を、黒は過去の圧政を象徴し、アラブ統一の願いを表したもの。
中央の鷹の紋章はマホメットの出た部族のシンボルで、下に国名が記されている。
4. 気 候
国土の大半は砂漠気候で、降水量はきわめて少ない。北部の地中海沿岸は、冬季に少量の降雨があり温和 で過ごしやすいが、南部の内陸部は一年を通して数日しか雨が降らず、高温乾燥が激しい。4〜5月には西部砂漠から暑い砂嵐(ハムシーン)が吹き付け、気温は時に40℃を越える。年間降水量は30〜50mm程度。
5. 通 貨
通貨はエジプト・ポンド(下位貨幣はピアストル)ですが、USドルもエジプト紙幣と同じように通用しました。むしろドルのほうが喜ばれたくらいです。
もっともドルが通用するとはいっても、1ドル以上の貨幣のみで、それ以下のセントについては流通しておらず、したがって、1ドル以下の買い物には、エジプトの貨幣でお釣りをくれるという具合でした。
以下の紙幣は1ポンド紙幣の表と裏です。
6. 食 事
エジプト料理は、古代エジプト時代からの食べ物と、アラブ圏の近隣諸国から入ってきたものが混在している。
左写真は、アラブ諸国共通のナムという平焼きパンに、ターメイヤという主菜。ソラマメをすり潰して揚げたコロッケで、割と美味であった。
真ん中は、コフタカバブというひき肉を串につけて焼いたつくねのようなもの。もちろん、このほかシシカバブもありました。
右端は、エジプト古来からのもので鳩のグリルです。結婚式の前に新郎が食べる風習があるそうですが、味のほうはやや淡白すぎる感がありました。
ここで、食中毒のことに少し触れねばなりません。
旅行中、腹痛を訴えた人が、25名中、半数以上いたのではないでしょうか。中には医者にかかる人も出て、ホテルで休息を余儀なくされたほどでした。
エジプトの水は硬水のため、慣れない日本人はついお腹をこわしてしまいがちです。それに衛生面も万全ではないようです。
私は幸いにして大丈夫でしたが、これはおそらくは生野菜に問題があったのではないかと思われます。これも水道水で洗っただけのものですからね。とにかく食べるものは一度火を通したものに限ります。
これからエジプトへ行かれる方は、水で薄めたジュースや氷の入ったもの、アイスクリームやシャーベットなどの氷菓などは勿論のこと、生野菜も避けたほうが無難でしょう。
7. 物 価
物価は日本に比し、かなり安い感じだったが、ホテルなどを除いては商品に値段がついておらず、日本人とみると吹っかけてくるのが常道で、結局はお互いの交渉の末に価格が決まることになる。ま、これも旅の楽しみの一つであろうか。
8. 交通事情
エジプトを訪れてまず驚くのは、ポンコツ車が多いことと、クラクションのけたたましさです。特にカイロのそれはひどく、うるさいことこの上なく、それに交通規則なんかお構いなく、まず2車線のところでは3台が、3車線のところでは5台が並んで走っているという具合でした。
信号も少ないので、道路を横断するときはよほど注意しなければならず、それこそ必死の思いでした。
9. 人 々
エジプトの人たちは非常に人懐っこく、親しみがもてましたが、写真ひとつ撮るにしても、その見返りを求められるのには参りました。
以下の写真は、ギザからアレキサンドリアへ行く途中で人々の様子を撮ったものです。
以上で、私の拙いエジプト旅日記を終わらせていただきます。
最後までお付き合いくださり、有難うございました。