第11日目
(6月13日)
いよいよ日程も大詰め、今日は観光最終日である。
9時05分、ホテルを出発、ダブリン市内観光に向かう。
今日のガイドは、本ツアー初めての日本人で、N..Yさんという非常に歯切れのよい女性。初めて日本語で直接説明を聞けてほっとした。
聞けば彼女は、我々のツアー催行会社の元社員だったとか。ますます心強く感じた。
ここダブリンは、元はケルトの小村だったが、8世紀末にヴァイキングが占領し、城壁のある町に発展、イギリス王ヘンリー2世がアイルランド支配の拠点としたのが12世紀後半とか。
16世紀には市街は城壁外まで発展し、18世紀後半には大英帝国第2の都市に発展、1922年の独立によりアイルランドの首都となった由。
左の写真が外観とその内部で、アイルランドの守護聖人パトリックを祀るアイルランド最大の教会である。
あのガリバー旅行記の作者ジョナサン・スイフトが、かつてここの司祭長を務めており、彼と恋人ステラの墓がある。
ただしここはプロテスタント教会なので、訪れる信者は極めて少ないという。
次に訪れたところは、ダブリンの歴史の中心、ダブリン城。
13世紀ジョン王による建立で、1684年の火事による崩壊まではイギリス支配のシンボルであったとか。石造りの塔がその名残りといわれる。現在の建物は18世紀に再建されたもの。
右写真は、王座の間。シャンデリアは真鋳製で、1.5トンもあるという。
次の観光場所に向かう途中、ジョージアン方式の建物が並ぶ一角で写真ストップ。
左の写真をご覧いただきたい。窓が上に行くほど小さくなっているのがお分かりだろうか。
これがジョージアン方式で、建物を美しく見せるひとつの手法とか。
右の写真は、ダブリンで最も美しいと言われているドアとのこと。
午前中最後の観光場所は、学生数12000人を擁するトリニティ・カレッジ。
1592年にイギリスのエリザベス1世により創設、アイルランドのプロテスタント化が当初の目的だったとのこと。
旧図書館内のロングルームには古蔵書が20万冊も収蔵されている。
この大学が有名なのは、その図書館内の一角にケルト芸術の最高峰とされるケルズの書を展示していること。
ケルトの書とは、豪華な装飾が施された4つの福音書のことで、最高の装飾写本のひとつとして知られているものだそうだ。
左の写真はその一部で、ギリシア文字でキリストの略字を表すXPIの飾り文字が読み取れる。
午前中の観光を終わり、街なかのレストランで最後の午餐を楽しんだ後は自由行動となる。
時刻はまだ14時前だったが、生憎この頃から雨が降り出し、散策には不向きとなったので、もっぱら美術鑑賞としゃれ込み、博物館、美術館とまわる。いずれも入場無料なのはうれしかった。
道すがら、中央郵便局、そしてユリシーズの作者として名高いジェイムズ・ジョイスの銅像を訪ね、更には若干の買物などをした後、まずは国立博物館に入る。
国立博物館は、1880年代にトーマス・ディーンの設計で創立されたとか。館内には紀元前2000年から今世紀に至るまでのアイルランドの宝といえる工芸品が揃っている。
なかでも、国宝として収められているアダックの聖杯(下中央)やタラのブローチ(下右)は圧巻で、いずれも8世紀に造られたものだが、特に後者は僧衣などを留めるために使われた金のブローチで、ケルトの文様が彫りこまれ、アイルランド金細工の最高峰といわれている由。
次いで入った国立美術館は、1854年に当時の鉄道王ウィリアム・ダーガンの尽力により創立され、1864年にオープンしたもの。
ゆったりした空間の中にアイルランドを始め、世界中の美術品が収められていたが、ここでは2点ほどご紹介しよう。下中央写真は、Jules Breton の「落ち葉拾い」で、これはミレーの同名作品にも匹敵する傑作といわれる。同右写真は、Johanes Vermeer の「手紙を書く淑女」で、これはラブレターを書く淑女のひたむきな表情とそばに立つメイドの所在無げな表情の対比が興味深かった。(画質が悪く、申し訳ありません)
美術館を後に、雨の中を15分ほど歩いてホテルに戻り、一休みした後、ツアー仲間の一人の男性とともに、徒歩5分のところにある和食レストランへ寿司を食べに出かける。
10人あまりの人たちは、添乗員の案内で、あるカフェへ行き、アイリッシュダンスを見ながら食事をしたらしいが、もう重たい食事にはうんざりしていたところなので、別行動をとった次第。
寿司のコーナーは回転寿司バーになっており、味はまぁまぁであったが、種類が少なく、値段は日本の約2倍といったところだった。
これで観光日程はすべて終了し、明日の帰国を待つばかりとなった。