第4日目
(6月6日)
ホテルを8時05分に出発、ロンドンデリー市内の観光に向かう。
現地ガイドは、中国系アイルランド人の若い男性で、極めて分かりやすい英語で案内してくれた。
ここでは、市の人口約10万4千人のうち1/3のプロテスタント住民はロンドンデリーと呼び、2/3を占めるカトリック住民はデリーと呼ぶとのこと。両者間では過去にこの町の支配をめぐり、城壁を挟んで壮絶な戦いがあったとか。
8時20分、市の中心広場、ザ・ダイアモンドでバスを降り、徒歩での観光となる。
下左写真は、城壁の上から北に向かって城壁外を眺めたもので、真中に聳える尖塔は、1851年建立でカトリック系の聖ユージーン教会とのこと。今でもほとんどのカトリック住民は城壁外に住んでいるらしい。
中央写真は、1613年にプロテスタント入植者によって造られ、三度にわたる包囲戦に耐えた全長1.6kmの城壁の一部で、ご覧のように城壁外に向けた砲台が残っている。
右写真は、1633年建造の威風堂々たるプロテスタントの教会、聖コラムズ大聖堂で、内部では1689年の包囲戦のときに使われた門の鍵など、当時にちなんだものが数多く見られた 。
さて、10時40分、ロンドンデリーを後に一路南下、いつのまにか国境を通過し、アイルランド共和国の都市、ドネゴールで下車、中央広場(The Diamond)に面したホテルでの昼食となる。
ドネゴールは、ゲール語で外国人の要塞という意味だそうで、ケルト人によって5世紀ごろに開かれた町であるとか。
以降、バイキングの襲来など様々な経緯を経て現在に至っている由。主な産業は毛織物と漁業だそうだ。
街の中心は左写真のザ・ダイアモンドで、ちょうど昼時とあって、若者らがたむろし、楽しそうに話していた。
なお、ここにあるオベリスクは17世紀にアイルランドの年代記を記した4人の年代記作者を記念して建てられたものと聞く。
13時10分、次の観光場所、聖フランシスカン修道院跡へと向かう。
途中、運転手の勘違いで、現役の聖フランシスカン修道院に行ってしまい、大幅な時間的ロスはあったものの、14時10分、なんとか目的地に到着した。
修道院跡はドネゴールの街のはずれ、河口を臨む小さな岬の先にあった。
何のことはない、ここは先ほどの中央広場から川沿いに南西方向へたった1km足らずのところであった。
ここには数百年前の年号を刻んだ石盤や、崩れかかった石の壁が残っているほか、付近には新旧のハイクロスが林立していた。(右写真)
夕方などには石柱の影が長くのびるため、霊的な雰囲気が漂うと言う。
次いで今夜の宿泊地、9世紀にバイキングによって開かれた町、スライゴに向かう。
左の写真は、スライゴ郊外にある、アイルランドの生んだ偉大な劇作家で詩人のウイリアム・バトラー・イェーツ(1865〜1939)の墓標で、亡くなる数日前につくったいう詩が、次のように刻まれてる。
"Cast a cold Eye On life,Death,Horseman,pass by"
直訳すれば、「生と死に冷徹な一瞥をくれて、御者は馬を駆って走り去る」ということになろうが、これを作者の意を汲んで意訳すれば、 「生と死、そんなに大事に考えなさんな、ただ過ぎ去るだけじゃないか」とでもいうことになろうか。
この後、スライゴの街なかに入り、スライゴ県立博物館で、イェーツのノーヘル賞メダルのコピーやポートレート、直筆の手紙や小物類のほか、イェーツの弟(画家)の作品などを鑑賞し、この日の観光を終え、17時15分、市内のホテルに入った。