第11日目
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シラーズ → ヤズド
朝食後、連泊したシラーズのホテルを発ち、北東440kmに位置するヤズドへと向かう。
途中、2時間ほど行ったところにあるパサルガダエで下車し観光する。
ここパサルガダエは、BC 546年にキュロス2世の命により建設が開始されたアクメネス朝最初の首都で、キュロス2世の死後はダレイオス1世に建設が引き継がれ、その後シューシュに都が移されるまで栄えたという。
現在は荒涼とした風景が広がっているが、そこかしこに当時の様子を髣髴させる遺跡が点在している。
最初に訪れたのはキュロス大王の謁見の間。ここはペルシア人アーティストのみによる建造で、8本の円柱が残っていたらしいが、現在は2本のみしか残っていない。100年ほど前にイギリスとフランスが持ち去ってしまったとか。
柱の台座は白大理石と黒大理石の折衷で、ここが外国からの使者を迎える謁見の間であることを示しているという。
ほかには面白い特徴をもつレリーフを施した石板がある。
昔は全身かあったらしいが、今は下半身のみの人間、牛、魚の体が並んでいる。これは牛は大地を、魚は海を、人間は知性を表しているとのこと。つまりは人間が陸と海を支配していることを意味しているのであろう。どうぞ拡大してお確かめください。
下右写真は、次に訪れたキュロス大王の私的な宮殿で、H型の基礎に当初は36本の柱をもち、周りには水路の跡もあるなど、高度な文明をうかがわせるものがあった。
次いで訪れたのはキュロス大王とその夫人が眠る墓。
素朴ながらピラミッド型に石壇を積み上げた堂々たるもの。修復中だったのが恨めしい。
この墓は7世紀にアラブ人の侵入を受けたが、侵入者はこれをソロモンの母の墓と思い込んでいたため、破壊を免れたという経緯があるとか。
石壇は7つあり、それぞれに数字が刻まれているが、これは1週間を意味しているという。おそらくはエジプト暦の影響を受けたものであろうか。
パサルガダエを後に、途中のレストランで遅い昼食をとり、更に今夜の宿泊地ヤズドを目指す。
モグラの穴にしては大きすぎると思われたが、何とこれは2000年以上も前から使用していた人工水路カナートとのこと。
下車して小石を投げ込んでみると、確かにポチャンと水の音がした。
一部は現在も使われているというから、その息の長さには驚くほかない。
ヤズドはイランのほぼ中央に位置し、乾いた熱風と強烈な日差しが肌に突き刺さる典型的な砂漠都市であり、したがって金持ちは左写真のような風の塔(バードギル)を建て、その下に暮らす。頂部分から入る風が下に行くほどに程よく冷やされ、天然のクーラーの役目を果たしているという。もっとも豊かでない多くの人々は日干し煉瓦の上から土で固めた家に住んでいるが―――
ホテルに入る前にゾロアスター教拝火神殿を見学。
建物自体は新しいが、前廊の柱など、随所にペルセポリスの建築様式が取り入れられており、また、外壁の正面上部には「翼ある日輪」で表されたゾロアスター教の善の神アフラ・マズダの像があり、ゾロアスター教の寺院であることを物語っている。
内部は簡単な博物館のようになっていて、開祖ゾロアスターの肖像画などが展示されているが、ここのメインはやはり聖火で、1500年以上も前から絶やされたことのない火を見ることができた。
この後、18時45分、市内のホテルに入り、小憩後、ビッフェの夕食をとり、本日の日程を終了した。