2日目

( 525)

 (機中泊)→タシケント→テルアビブ→カイザリア→アツコー→ハイフア

 

関西空港を15分遅れで出発した機体は、馬力不足と向かい風の影響か、更に15分遅れて、425説明: 説明: israel12-1分、タシケント空港に到着。

あわや乗り継ぎ便に間に合わないかも?! との不安は“テルアルビからの到着機も遅れている”との情報に一安心したものの、今度は逆に延々と待たされる羽目になった。

早朝から賑やかな待合室で待つこと約2時間半。待合室は他の便を待つ乗客もあって国際色豊か、こんなことは日常茶飯事なのか、みな焦る様子もなく、悟りきった表情で待っている。やきもきしていたのは、時間に追われている我々日本人客だけだったかもしれない。

この間、遅れている理由を説明する放送は一切なかった。やっと搭乗可能になった段階での客の誘導方法の不手際といい、この国が旧ソ連の一部であったことを思い起こさせた一幕であった。

やつと乗機準備が整ったということで、シャトルバスに乗って移動し、7時45分、テルアルビに向かうHY301便に搭乗したものの、飛び立つまでに更に1時間余を要した。

フライト中、ウズベキスタンとイスラエルの間は時差が2時間あるので、更に時計の針を遅らせ、サーブされた朝食をとり、しばしのまどろみに身を委ねている間、機は、カスピ海、アゼルバイジャン、トルコ、キプロスなどの上空を経て、1130分、テルアルビのベングリオン空港に着陸した。当初のスケジュールより3時間遅れである。

まずは広い空港内を歩いて入国検査に向かう。

イスラエルではどこへ行くのか、目的は何か、などの検査官の質問に答えた後、こちらからは ”No stamp, please..”と、パスポートには入国のスタンプを押さないようお願いしたところ、検査官は心得て説明: 説明: israel12-2いるとみえ、別紙に押してくれた。これは、イスラエルの入出国記録があると、シリア、ヨルダンなど周辺のアラブ諸国で入国を拒否されるからである。

次いで Baggage Circuit に向かい、当初は順調に各自のスーツケースが出てきたかに見えたが、一人の方のがいくら待っても一向に出てこず、とうとう荷物紛失手続きを余儀なくされる始末となった。

その間、われわれは空港内の銀行で両替をしたが、被害にあった方には本当にお気の毒なことであった。

 

そんなこんなで、専用バスでスルーガイドの信夫氏とともに空港を後にしたのは1252分。当初の予定より3時間半ほどの遅れで、ようやくイスラエル周遊旅行の始まりである。

バスは、高層ビルの林立する国際都市テルアルビの町を抜け、左手に地中海を望みつつ、快適に国道を一路北上、高級住宅街でハイテクの集積地ヘルツェリア地区、ダイヤモンド産業の中心地ナタリヤなどを通過し、最初の観光地カイザリアに着いたのは、1347分であった。

 

カイザリア到着後、まずは十字軍時代に築かれた城壁の中に入り、遺跡内を歩き、海に突き出た要塞跡に立つレ説明: 説明: israel12-3ストラン “Port Café” にて遅い昼食となる。

サーモンのラビオリがメインであったが、ともかくお腹が空ききっていたので、美味しく食べられた。

カイザリアは、テルアルビの約40kmの北に位置し、ローマ時代の美しい遺跡で名高いところとか。

もともとはフェニキア人が地中海の玄関口として築いた港町であったが、ローマ時代にヘロデ王によって拡張され、当時の皇帝カエサル・アウグストゥスの名前を冠し、帝国屈指の港町として発展したといわれる。

 なお、カイザリアの更なる説明はこちらをどうぞ

円形劇場

昼食後、十字軍の街のアーケードを通って駐車場に戻り、500mほど南にある円形劇場へ。

説明: 説明: israel12-4ローマ帝国は各国へ進出し、ローマ風の街づくりを進めたが、イスラエル各地に残る円形劇場もローマ遺産のひとつとか。なかでも、1960年代に発掘されたここカイザリアの円形劇場はきちんと修復され、説明: 説明: israel12-5今でもコンサートになどに使用されているとは驚きであるが、ローマ時代は、この劇場で多くの人がライオンと戦わされ、またローマに抵抗したユダヤ人が多数殺されたとは残酷極まりない話である。

劇場は直径約170mの半円形で、当時としては異例の西向きであるが、これは、海風による音響効果や夕日の視覚効果を計算し、地中海に面して建てられたためだという。

もっともこの劇場、遺跡というにはあまりにも整備されすぎている感じであったが------

導水橋

次いで2kmほど北に移動し、導水橋の一部を見学。円形劇場とともに、導水橋もローマ時代の都市説明: 説明: israel12-6の至るところに見られる代表的な建造物である。

これは、ヘロデ王が水の少ないカイザリアに水を供給する施設説明: 説明: israel12-7として建設したもので、北方にあるカルメル山の麓の泉から約9kmにわたって導水され、市民の飲水用に利用されたとか。

上部にある溝に直径17cmの陶器の管が3本も通っていたそうで、あらためて、ローマ帝国の底力に感嘆した次第である。

 

( 続いて次ページをご覧ください )

 

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