第7日目(1)
( 5月30日)
エイラット → (死海) → エルサレム
5時15分起床。今朝は出発が早く、慌しい食事は苦手なので、朝食には降りて行かず、部屋で手持ちのものを軽く食べて済ます。
7時34分ホテルを出発。今日はイスラエル南端から再び死海まで戻り、その北端から西方の中央高地エルサレムまで一気に向かう予定である。
ほどなく、来た時とは違う道に入ると、やがてキブツ(農場)を過ぎたところに101休息所という場所が見えてくる。ここはエイラットから101kmの地点にあることからその名があるが、ちょうどヨルダン領に通じる険しい山間の道への分岐点になっており、昔から冒険者の溜まり場となっている由。
我々は通り過ぎただけだったが、上図の赤い山は、ヨルダンの山々がエジプト領のシナイ山と繋がっていた証拠であるとか。今でも年間数mmは動いているという。
次いで、イスラエル国内最大のワジ(涸川)といわれるパランに差しかかる。ここでは果物などを栽培するビニールハウスが沢山並んでいるが、季節になると毎年この作業のため、タイから500人ほど契約労働者が労働ビザで自炊用のお釜持参でやってくるそうな。かれらは暑さを苦にしないのでここの作業にはうってつけらしい。
そのほか、フィリッピンの女性も介護の仕事でやってくるという。
8時55分、エン・ヤハブというところで下車休憩。砂漠の真ん中にしては素朴ながらなかなか瀟洒な感じのする建物をもつドライブインで、ここではチョコレートやクッキーなどお土産に最適なお菓子類が安く売られており、皆、盛んに買い求めていた。私もその仲間入りして、クツキーを少々、衝動買い(?)した。
8時18分、再び死海に向けて出発、やがて冬は鉄砲水で橋まで壊されてしまうという大きな涸川を通過すると、そこは死海の南端近くで ”Dead Sea Works” と呼ばれる工場群が見えてくる。ここでは死海の水から多種のミネラルを精製し、欧米や日本に輸出しているとか。
死海は文字通り生物の存在を許さない死の海であるが、イスラエル国の経済面では大いに寄与していることになる。真っ白な塩の山が印象的であった。
10時ちょうど、死海西岸のソドムという一帯のとある場所で写真ストップ。そこには旧約聖書に出てくる「ロトの塩の妻」といわれる塩の柱が小高い岩山の上に立っている。
「ロトの塩の妻」の物語は概ねこうである。
旧約聖書のアブラハムの時代に人々は堕落し、神の怒りを買った。神の火で焼かれる寸前、ロトはノアの子孫に当たるため、ロトとその妻と二人の娘は神に許されて逃れた。しかし妻は「逃げる時は最後まで決して振り返ってはならない」という神の命令に背いて振り返ってしまったため、その瞬間に塩の柱になった。
単なる「塩の海」を「死海」と呼ぶのも、このような経緯からかもしれない。この辺り、数億年前にできたという岩塩の岩が多くあり、ちょっとだけ舐めてみたが、食塩と異なり、とても苦いものであった。
ソドムを後に更に死海沿いに北上し、昨日の宿泊地エン・ボケツクを通過、昨日来た道を逆にたどり、死海北端で左の道に折れ、北の彼方にパレスチナ自治区のエリコの町を臨むアルモッブのドライブインで下車休憩。時が時なら、この辺りは緊張が高まり、とても観光どころではないのであろうが、このときは、パレスチナとの関係が一時的小康状態にあり、ここまで近寄れたのは幸いであった。本音は、エリコの町も見てみたかったが、さすがにそこまで望むのは現段階では無理というものであろう。一応カメラは向けてみたものの、霞んで撮れただけであった。(右写真)
更に西に向かって進路をとり、昔から数多の盗賊が出没したという峠を越え、かつてサマリア人が住んでいたといわれる丘を登りきると、いよいよ目的地のエルサレムの街並みが眼下に開けてきた。
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