第8日目(2)
( 5月31日)
エルサレム滞在
12時13分、聖墳墓教会を後に、ヤッフォ門を通り、新市街に出、昼食場所へと向かう。
ヤッフォ門は、アラビア語ではバーブ・アリ・ハリールといい、城壁が現在のような形になった1537〜41年以来、ヤッフォに陸揚げされた荷物を運び入れる門として活躍したとか。1898年には車が通れる広さに拡張され現在に至っているとのこと。
ちなみに、ガイドの話では、第3次中東戦争までは、ヤッフォ門のすぐ外側の道路がヨルダンとの国境だった由。今では、車が頻繁に行き交う主要道路のひとつになっている。
さて、ヤッフォ門前から迎えのバスに乗車し行くこと約5分、”Olive & Fish” というレストランに着き、昼食となる。
メニューは、カボチャと人参のスープを前菜にメインがサーモンとポテトの付け合せ、そしてデザートがチョコレートケーキにミントティーというものであったが、味のほうはともかくとして、ビュッフェ方式でなく、サーブされたものをゆったりとした気分で食べられるのは有難かった。いかに私がビュッフェ嫌いか、この気持ちお分かりいただけるだろうか。
死海写本館
午後の観光は新市街の西方に位置する死海写本館から始まった。
ここは4日目でご紹介したクムランの洞窟で発見された写本を展示してあるところで、ご覧のように、建物の屋根が写本の入っていた素焼きの壷の蓋の形になっている。
内部は照明を落とし洞窟のイメージを醸し出している。写本は、BC3〜2世紀に筆写された世界最古のヘブライ語聖典で、イザヤ書や詩篇など600を超える巻物がほぼ完全な形で発見された当時は、世界の聖書学会に一大センセーションを巻き起こし、20世紀最大の発見といわれている。
もとよりヘブライ語など全く解さない私には、内容はチンプンカンプンであったが、展示されている一点一点が由緒ある古文書類であることは十分感じられた。
ヤド・ヴァシェム
更に西に進んで、エルサレム西端にあるヤド・ヴァシェムへ。
ヤド・ヴァシェムとはヘブライ語で「記憶と名前」という意味だそうで、第2次世界大戦中にナチス・ドイツに虐殺されたユダヤ人600万人を追悼するため、1953年に建てられた、いわば国立のホロコースト(虐殺)記念館である。
メインの歴史博物館内では、ホロコーストに関する写真やパネル、遺品や映像などを駆使して悲惨な当時の様子をダイレクトに伝えており、改めてユダヤ人が受けた災厄の酷さを思い知らされた。
印象的だったのは別棟の子供博物館の内部。石積みの平たい屋根の下の入口から入る。館内は暗く一面鏡になっており、蝋燭が灯るなか、目が慣れるまで手探り状態で進んでいくと、スピーカーから流れてくるのは、犠牲になったユダヤの子供たちの名前である。いやがうえにも厳粛な気分にさせられ、悲しみの情にさいなまれる思いであった。また、外壁の悲しげな表情をした子供たちのレリーフも胸がつまされる思いであった。
更に構内の庭園には、ユダヤ人をナチスから救った外国人の恩人を記念した植樹があり、日本のシンドラーと呼ばれている杉原千畝さんのものもあり、これを見つけたときには言うに言われぬ感激を覚えた。
杉原千畝さんといえば、第2次世界大戦の初期、ナチス・ドイツによるユダヤ人狩りが激化するなか、当時ドイツとは三国軍事同盟を結んでいた日本の外務省の意向に逆らってまで日本への通過ビザを発給し、約6000人のユダヤ人の命を救った人道的偉業のことはあまりにも有名であり、イスラエル人が日本人に対し友好的なのは、この人の功績によるところが大であると思われる。
オフェル考古学ガーデン
再びエルサレム中心部に戻り、見学したところは神殿域の南西および南の部分を占める広大なオフェル考古学ガーデン。
この遺跡は、1967年の六日戦争後15年をかけて、イスラエル発掘調査隊とヘブライ大学の合同チームによって発掘され、1986年から一般公開されているとか。
これまでに、ソロモン王の時代から16世紀のスレイマン大帝の時代まで何と25層にも及ぶ文化層が確認され、考古学ガーデンとしての設計に当たっては、その縦横に入り組んだ時代層が見学者に分かりやすいように工夫されている(下@)。
中でも特に重要な発掘はイエスの時代のエルサレムを示す遺跡であり、神殿への通用門であったフルダ門の付け根跡(下A)、巡礼のための屋台などで賑わったことが想像される敷石の通り(下B)などが発掘されている。
嘆きの壁
オフェル考古学ガーデンを後に再び糞門を通って旧市街に入り、いよいよ最後の観光スポットである嘆きの壁(西の壁)に向かう。
ヘロデ王の建てた第二神殿の西の壁は、ローマ人によって崩壊させられた西暦70年以来の時を超えて現存する唯一の建造物であり、ユダヤ人離散の歴史において、常にその精神的な拠り所であった。1967年の六日戦争でイスラエル側の手に渡って以来、オープン・シナゴーグとして、終日開放されているが、今なお旧約聖書の記述を信じ、救世主の再臨を熱心に祈るユダヤ教徒が世界各地から集まり、聖地中の聖地として存在感の大きさを示している。
出入口および祈りの場所とも男女別になっているが、それぞれ場所で壁に向かって熱心に祈る信者の姿が印象的であった。
以上で、イスラエルにおけるすべての観光を終了し、18時ちょうどにホテルに帰着、部屋に戻って最後の入浴後、ホテル内レストランで例によってビュッフェの夕食をとり、本日の日程を終了した。
それにしても、本日はよく歩いたこと!
(本日の歩数 18296歩)