第3日目
(11月3日)
ビエンチャン→ルアンプラバン
朝食後、9時ちょうどにホテルを出発、空路、緑と川に囲まれた美しい古都、ルアンプラバンへ向かいました。
72人乗りのプロペラ機で約40分ほどのフライトでした。
(以後、ラオス国内のフライトはすべてこの型の飛行機でした。)
乗り心地は悪くなく、特に危険は感じませんでした。戦後、日本で造られた唯一の国産機YS11型を思い起こしました。
到着後、市内の中華レストランで昼食を済ませ、観光に入りました。
ここルアンプラバンは、長い間ラオス王国の首都として君臨した山間の古都で、小さい町ながら旧王宮や80もの寺院がひしめき、ラオス伝統の木造藁葺き屋根の家屋や、フランス植民地時代のテラスのある家屋、更には中国やベトナムの影響を受けた建物など、さまざまな様式の建造物が混在し、町全体が世界遺産に登録されています。
まず最初に訪れたところは王宮博物館。ここはフランスによって1909年に建てられた旧王宮で、当時の王シーサワンウォンが家族とともに住んでいたとか。当時ラオスはフランスの植民地でしたが、ルアンプラバンだけは保護領として形式上の王政を続けていたそうで、フランスはラオス王を保護していることを印象付けるため、この王宮を建てた由。
1975年に王政が廃止され、共和国になったため、翌年から博物館として一般に公開されるようになったということです。
午後は13時から開館ということでしたが、13時13分に着いたとき、まだ閉まっていました。待つこと15分、係員が至極当たり前の顔をしてやってきました。なんとものんびりしたラオスのお国柄の一端を見る思いでした。
まず正面入口から中に入ると、ホールになっていて、ここは公式行事などを行った場所。右手に行くと、仏像の部屋や王の接見室と続き、中央にある王位授与ホールにはルアンプラバンの生活、儀式、祭りなどの様子がガラスのモザイクに描かれていましたが、このモザイクに使われているガラスは日本から取り寄せたものだそうです。
更に奥に進むと、王の図書館や王の寝室、王妃の寝室、食堂などのほか、世界各国からの贈り物が飾られている展示室があり、日本の壷なども展示されていました。
次に訪れたのは、王宮博物館に隣接するワツト・マイ(寺院)。1821年の建立で、完成までに50年の年月を要したと伝えられています。正式名は「ワット・マイ・スワンナプーン・アハーン」で、これは、「美しい(アハーン)、黄金の国土(スワンナプーン)の新しい(マイ)、寺院(ワット)」という意味だそうです。
屋根は五重に折り重なっていましたが、これはルアンプラバン様式の特徴だそうです。(下左)
また本堂の外壁にはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」をモチーフにしたという、釈迦の生涯を描いた黄金のレリーフが施されていて、ラオスにおける仏教芸術の最盛期が偲ばれました。(下中央)
入口付近には、修行僧と思われる少年らが手持ち無沙汰で座っておりました。(下右)
まだあどけなさが残る表情が印象的でした。
この後、車で30分ほど山間の道を走り、山岳民族のモン族の村を訪ねました。
モン族は文字の文化を持たないそうで、その素朴な生活ぶりと、静かに佇む老婦人、子供達の無邪気な笑顔などが印象的でした。
モン族の村を見学後、市内のホテル「MANOLUCK」に直行し、ホテル内レストランで夕食をとり、この日の日程を終えました。