第3日目
(クアラルンプール →
キャメロン・ハイランド)
6月15日、5時55分起床。クアラルンプール2日目の朝を迎え、NHKテレビで、W杯サッカーの予選リーグの緒戦で、日本がカザフスタンに勝ったことを知る。まずは目出度い。
昨日と同様、早めに朝食に降り、帰室後ゆっくり支度し、出発に備える。今日は、午前中がクアラルンプールの市内観光、午後は高原のリゾート地 キャメロン・ハイランドへの移動の予定である。
8時35分、ツアーバスにて出発。地元の人には「KL」の愛称で親しまれている首都である。ここには16年前にも来ており、その頃は、目立ったのはKLタワーくらいで、埃っぽい街並みという印象があったが、現在は高層ビルが林立し、道路も整備された近代都市に変貌しつつあり、あとは車の増加に伴う排煙対策が最大の課題といえそうである。
ちなみに、マレー語で、クアラルンプールのクアラとは「河口」を、ルンプルとは「泥」という意味だとのこと。つまりは「泥んこの河口」ということ。クラン川とゴンバック川の合流点に位置することからつけられた名前の由。
クアラルンプールの市内観光の模様はこちらをどうぞ
さて、クアラルンプールでのすべての日程を終えた後、バスは、高原リゾートのキャメロン・ハイランドへと高速道路を北に向かう。約4時間半の行程とか。
途中、タパという所のドライブインで最後のトイレ休憩を取った後、バスはやがて高速道路から熱帯雨林を切り開いて造られたアップヒル道路に入り、次第に高度を上げていく。周囲は鬱蒼とした樹木の緑一色だが、時おり、原住民の住居や出店などが垣間見られ、興味深かった。
殆どの原住民はもっと下の沢近くに住んでいるらしいが、現金収入を求めて、食べ物などを売りに道路際に出てくるとのこと。
やがてバスは、ようやく標高約1300mのキャメロン・ハイランドに到達、タナー・ラタという町のキャメロン・バレー紅茶園(TEA ESTATE)に入り、小休止。
ここはイギリス時代から紅茶のプランテーションで有名な所。1年中春日和で安定した気候のここキャメロン・ハイランドは紅茶の栽培に最適な高地で、当初は避暑地として開発したこの地をイギリスはこれを見逃さなかった由。店の裏手を見ると、広大な茶畑が広がっていた。
即売所には、いろんな種類、いろんな容器、いろんな量の紅茶が置かれており、皆、それぞれ好みのものを買い漁っていた。毎朝 紅茶を欠かさない私も、もちろんその中の一人であったが----
紅茶園を後に10分足らず更に奥に走り、17時30分、「峰美娘惹中西餐長廰」というレストランに入り、早目の夕食となる。
メニュは、中華料理を源とするも、今やマレー料理の定番にまで進化した感のある「スチームボート」であった。
これは、肉、エビ、イカ、魚のすり身、スルメ、野菜、豆腐などを鶏ガラスープで煮ながら食べる鍋料理で、鍋の中心の円筒部分から蒸気を逃す仕組みなのでこの名が付けられたのであろう。タレはチリソースかニンニク醤油で食するもので、言わば日本の「寄せ鍋」のマレー版である。
可愛いマレー人女性がタイミングを計って各具材をそのつど鍋に入れてくれた。
このあと、別室にて、デザートにドリアンが供された。
ドリアンは東南アジアを旅行された方なら、一度は食べてみたことがあろう。その強烈な臭気から、嫌う人が多いが、極めて美味なのは万人の認めるところ。果たして、女性たちも臭いを気にしながらも、その魅力には抗し難く、盛んに手を伸ばしていた。一人だけ食べて、食べていない人の中に混じると、臭気ぷんぷんで嫌われるかもしれないが、全員が食べれば問題ないというわけか。赤信号、皆で渡れば恐くない? ちょっと違うか?
そして20時18分、宿泊ホテルの「HERITAGE
CAMERON HIGHLANDS」に到着。割り当てられた部屋は新館の354号室。
どうやらここは4人部屋と見え、ダブルベツドが二つにバスタオル、フェイスタオルの類や、石鹸、越す日用品などの消耗品も各4人分用意されていた。
部屋は清潔・機能的で、サニタリーも一体型でなく、シャワー室、トイレがそれぞれ分離されているなど、同時使用が可能となっていたが、ただ、バスタブに仕切りカーテンがないのは不便であり、この夜はシャワーのみで済ませることにした。
以上で3日目の日程をすべて終了した。