バイロイト

 

8日目の午後、バンベルクの西、車で約1時間ほどのところにあるバイロイトの観光に向かいました。

バイロイトは、なだらかな丘に囲まれ、普段は静かな谷間の町ですが、毎年夏にワーグナー音楽祭が開かれることで知られ、この祭典の時期になると、約10万人もの音楽愛好家が世界中から集まってくるそうです。

 

祝祭歌劇場

観光は、市の北部にあり、ワーグナー歌劇場とも呼ばれる、この場所から始まりました。

 

説明: bayreuth1ここは、ワーグナーが自分の歌劇や楽劇を上演するのにふさわしい環境を選び、自ら設計して建てた、1800人を収容する大劇場です。

建物は飾りっけのない木造の素朴なものですが、音響が素晴らしく、またこの説明: bayreuth2劇場の大きな特徴は、オーケストラボックスが深く掘り下げられて、客席からは全く見えず、したがって歌い手の声が、オーケストラの音よりも前面に聞こえるようになっていることです。こうした劇場は他に例がない由。

1876年の杮落とし以来、内外の優れたワーグナー歌手を集め、特に毎年78月には、ここでワーグナー音楽祭が開かれるそうです。

なお、右写真は下手の庭園に立つワーグナーの胸像です。

 

ヴァーンフリート荘

ワーグナーがルートヴィヒ2世から多額の資金援助を受けて新築し、妻のコジマとともに移り住ん説明: bayreuth3だ屋敷で、現在は彼の愛用していた品々や手稿、音楽祭関係の資料が展示されているワーグナー博物館になっています。

ワーグナーはこの屋敷に、かつて旅の途中に立ち寄って印象に残っていた村(ヴァーンフリート)の名前をつけたとのこと。

ワーグナーは、「この名の本当の意味は思慮深い人にしかわからないだろう」と語っていたそうで、「ヴァーン」は「希望」という意味ですが、それには「むなしい希望」というニュアンスがあり、ワーグナーはなかなか複雑な人であったようです。ちなみに、「フリート」とは「安らぎ」という意味だとか。

 

左下写真は、玄関から入ってすぐのところにあるハレ(ホール)で、音楽堂にあてられていたとか。この部屋は吹き抜けになっていて、現在はグランドピアノ2台と、ベートーベン、リスト、それにワーグナーとコジマの胸像が飾られています。ここから奥に進むと広間(右下写真)になります。

この広間は、庭に面した半円の張り出しをもっており、ワーグナーは家族や友人に囲まれて、自作の詩を朗読するなど、人生の最終局面を送ったとのことです。

説明: bayreuth4

説明: bayreuth5

 

下の左写真は、2階にある王の間で、ワーグナーとルートヴィヒ2世との様々な交流の記録が展示されています。ワーグナーは王に自分のヴァーンフリート荘での生活ぶりを知らせようと手紙まで書いていました。「恵み深い若き王よ、私の人生と私の作る詩と音楽のすべてを捧げます」というのがワーグナーの王への最初の手紙でしたが、その通りの人生を二人は歩んだようです。

右写真は、屋敷から庭を挟んだ木立の中にあるワーグナーとコジマの墓です。「愛と悲劇」の人生を送った二人は、この木立の中で永遠の安らぎを得たかのような、静かな佇まいに包まれていました。

説明: bayreuth6

説明: bayreuth7

 

以上、ワーグナーに始まり、ワーグナーで終わったバイロイトの観光でした。

観光後は、再びバンベルクに戻り、宿泊しました。

 

 

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