ライプツィヒ
観光11日目、午前中はライプツィヒの観光です。
ライプツィヒは、中世以降、エルベ川支流の水運を利用して、商業の都として発展し、旧東独ではベルリンに次ぐ第2の都市となったばかりでなく、商取引によって築かれた富を背景に、文化・芸術面でも大いに振興し、ゲーテ、ニーチェ、ライプニッツなどを輩出したライプツィヒ大学には、後に日本の森鴎外も留学したそうです。
また、民間最古の歴史をもつケヴァントハウス管弦楽団の本拠地もあり、若くして没した日本の天才作曲家の滝廉太郎もこの町に留学していたとか。
旧市庁舎
旧市庁舎は市の中心マルクト広場に面した東側にあります。1556年の建設で、壮麗なファサードをもち、ドイツ・ルネッサンス建築の傑作のひとつに数えられているそうです。しかも、たった9ヶ月で建てられたとは驚きです。
写真でも明らかなように、時計塔が中央でなく、向かって左寄りに位置し、左右が非対称になっています。そのせいでしょうか、堂々たる建物なのに、どこか茶目っ気があり、親しみを感じさせます。
1905年以降、行政機能は新市庁舎のほうに移転し、現在では歴史博物館およびショッピング・アーケードとして利用されています。
聖トーマス教会
マルクト広場をはさんで、旧市庁舎の向かい側にあるのが聖トーマス教会で、緑地に囲まれて見える塔が実に印象的です。
教会の基礎は1160年に築かれましたが、現在の教会は1212年に建設されたロマネスクの窓が聖歌隊席の北側にひとつ残るだけで、全体は1496年の後期ゴシック様式の建物だそうです。
そしてこの教会は、1254年に遡る伝統を誇る教会付きの少年合唱隊の歌声と、かの音楽の父ヨハン・セバスチャン・バッハが1723年以来27年間にわたって聖歌隊長として天才ぶりを発揮したことで知られ、教会の前にはバッハ像(下左)が、そして内陣にはバッハの墓(下中央)があります。
また、この教会には、キリストの生涯と受難を描いた祭壇(下右)があり、これは1490年頃の作者不詳の作品だそうですが、一見して作者の非凡な才能が光る見事なものでした。
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ライプツィヒ観光後、午後、次の目的地マイセンに向かいました。