2日目

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チェンマイ → チェンライ

 

5時30分起床。昨夜入浴時に洗髪後、ヘアートニツクをつけたつもりが、何とヘアーリキッドのほうをつけて寝たことに気づく。おかげで髪がべたついている上に乱れていること! 出発時のバッグの置忘れといい、これでもう2度目の失敗である。先が思いやられる。

6時に朝食に降りると、ツアーメンバーの一人S氏と一緒になる。この方は髪が薄い上に白髪なので、私より当然年上と思って安心していたが、非常に気さくな方で、話の流れで向こうから年齢を言ってきた。何と私より一つ年下と判明。向こうは向こうで私のほうが若いと思っていたとみえ、お互いいささかショックを感じた次第。ひょっとすると今度のグループでは私が最年長? まさか!

 

8時06分、ホテルを出発、一路北方の町チェンライへと向かう。

タイでは車は左側通行になっている。その理由は日本の中古車がそのまま使えるからとのこと。いかに日本とのつながりが密接であるかを物語る証左だろう。

30分あまり走ったところで、山間の道となりアップダウンを繰り返すようになるも、谷側の眺望はなかなか良いものであった。

説明: 説明: nやがてメー・カチャンという村にて小休止。ここは温泉卵の産地(?)で、バスを降りると、すぐ卵売りの女性が寄ってきた。温泉卵とはいっても、茹で上がった卵を売っているのではなく、売っているのは小さな籠に入った普通の鶏卵で、それを買って、敷地内にある温泉湧出場へ持っていくと、担当者がまとめて容器に入れ、それを紐でぶら下げて温泉内に浸し、茹であげてくれる仕組みである。

日本の温泉地の風習に似ていて興味深かった。ただし、こちらでは日本のように温泉浴の風習はないようである。似ていると言えば、石焼芋を焼いて売っている屋台もみられた。

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メー・カチャンを後に再び北に向かう。道路際に架かる電線の位置が日本に比しかなり低いのが目に付いたが、やがて睡魔に襲われ、30分ほどまどろんだろうか。

目をあけて時計を見ると1130分になっており、道幅や建物の様子からすでにチェンライの郊外に入っていると感じた。それにしても分離帯が2つも3つもある道路とは珍しい。

やがてチェンライの町に入った模様で、人通りも多くなり、トヨタ、三菱、いすゞ、ブリジストンなどの自動車メーカーやソニー、パナソニックなどの家電メーカーの看板が繁く目に付くようになった。ガソリンスタンドの表示もレギュラーで25バーツ(75)と、日本に比べかなり安いようだ。

説明: 説明: nチェンライの町を抜け、更に北に進み、1213分、メー・チャンというところに着く。ここはこれから行く北方山岳民族訪問のベースキャンプとも言えるところで、これからは道が狭くなるため、大型車では行けず、ソンテウという小型の乗り合いトラックに乗り換えねばならない。

小憩後、ガイドを含め12人が2台のトラックに分乗し出発したが、囲いはあったものの、横向きに3人ずつ仕切りのない長板椅子に向かい合って腰掛けたままの姿勢はどうにも居心地のよいものではなく、おまけにドライバーは飛ばしに飛ばすので、なおさら辛いものがあった。ガイドは約30分と言ったが、行けども行けども目的地に着きそうになく、その30分が過ぎても一向に止まる気配がない。やつと着いたのは出発してからちょうど1時間後の1322分であった。時間に関するシビアさが日本人とは違うようだ。もっとも本来はこの車、12人乗りだと言うから、その半分の人数で利用できたのは唯一の救いだったのかもしれない。

 

説明: 説明: nさて、着いたところはメー・サロンという、かつて中国国民党軍が建設した山中の村。なだらかな山頂がメー・サロン・リゾートという行楽地になっていて、まずはそこにある中華レストラン(右写真)で、タイ風中華料理の昼食となる。味のほうはともかく、一つの丸テーブル説明: 説明: n11人は狭苦しくて、食べた空がなかった。おまけに、最後のデザートがなかなか出てこないので、たまりかねて席を立ち、店の周りの散策に出た。ここからの山岳地帯の眺めは素晴らしいと聞いていたが、さしたることなく、代わりに面白いものを見つけた。屋外に動物の肉を何列も並べて竿に吊るしてある。乾燥肉をつくっているらしいが、何の肉だろう? 後で聞いてみると、これは牛の肉とのこと。何かの祭りのときに使うらしい。

 

空腹が満たされたところで、付近の観光に繰り出す。

まずは、中国国民党軍の子孫が商う中国物産店および付近の山岳民族が開いている露店市場を散策する。いずれも値札などついていないから、大概は向こうの言い値を出発点に値引き交渉となる。皆さん結構それを楽しんでいたようだ。驚いたのは、小さな子に可愛いからとカメラを向けると、母親が飛んできてモデル料を要求すること。いやはや、僻地の純朴さはどこへ行ってしまったのだろうか。

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市場を後に、いよいよ本ツアーのメインテーマの一つである北部山岳民族(アカ族・ラフ族・パドゥン族)を訪ねる道程へ。

とは言っても、アカ族は、既に民族衣装をつけた女性が露店市場で数多く見られたし、時間的な問題もあるので5分ほどですぐ出立、また小規模なラフ族の村は、徒歩でただ通り過ぎたのみで、メインは最後のパドゥン族の村であった。

説明: 説明: nここでは、まずはアカ族(左写真 )の紹介から始めさせていただこう。

アカ族は自称で、タイ人はこの民族をイコー族と呼んでいる。言語的にはチベット・ミャンマー語族の民族で、山の尾根沿いの中腹に片高床式の家屋に住んでいるとか。人々は精霊信仰で、男女の自由恋愛の習慣が根強く、一夫多妻制が認められているとのこと。女性たちの帽子は銀製で、悪霊から身説明: 説明: nを守るため、寝るときもはずさないという。

一方、ラフ族(右写真)は、これも自称で、タイ人はムスー族と呼んでいる。こちらはチベット・ビルマ語族に属し、山の高いところで高床式の家屋に住んでいる。ラフ族とは“虎を狩る民族”という意味で、その昔は狩猟民族として虎などの猛獣を狩っていたらしいが、今ではその名前とは裏腹に性格は温和とのこと。耳たぶに穴を開け、飾りをつけているのが特徴のようだ。

 

さて、更に山奥を歩いて進み、最後に着いたところがバドゥン族(説明: 説明: n長族)の村。主にミャンマー領内に住むが、ごく一部か軍事政権の圧制から逃れてきてここに住み着いている。女性は8〜9才ころになると、真鍮の輪を首につけ、成長とともに輪の数を増やすという。当初は満月の日に生まれた女児だけが「竜の娘」として首輪をつけることを許されたらしいが、今日では、観光収入を得るために女性はほとんど全員が首輪をしているようだ。

首長族はかつてミャンマーでも見たことがあるが、これほどまとまって見たのは初めてで、確かにその異様さには圧倒される。日本の女性の方々、これらを(クリック)ご覧になって、どんな感想をもたれるだろうか。

 

帰路は、もと来た道を徒歩、トラック、バスの順でチェンライへと戻り、1750分、町の中心部か説明: 説明: nら北に約5km、コック川沿いに建つ、今夜の宿、「リムコック・リゾート・ホテル」に到着する。外観が鋭角屋根を連ねた、いかにもタイ風の造りの瀟洒な建物である。

鍵を渡され、番号を見ると、4106とあり、一瞬説明: 説明: n4階かと思ったが、4階などあるはずもなく、これは4号棟の106号室と言う意味であった。

室内は白を基調にしたタイ風のインテリアでまとめられ、清潔感に溢れており、ここに連泊でるのは嬉しい限りであった。

夕食に出かけるまで1時間以上あり、入浴することもできたが、夕食後にナイトバザール見学も控えているので、やめにし、小憩をとるにとどめた。

 

1905分、バスでホテルを再出発、20分ほどで町なかのレストランに着く。ここでチェンライ名物というムーヤーン(焼肉)を食した後、再び10分ほどバスで移動し、ナイトバザールへ。

バザールは道に突き出すように店が並び、露店もあって、規模はそれほど大きくなかったが、食料品から日用品、民芸品などあらゆる種類の品物が所狭しと並べられ、地元民、観光客が入り混じって結構賑わっていた。値段も安く、昼間の山岳民族の露店で買った同じ品物に、こちらのほうがずっと安い値段がついていた。更に、ちょっとした広場には舞台が設えてあり、ちょうど民族舞踊をやっているところに出くわし、ラッキーであった。

 

40分あまり、ナイトバザールの雰囲気を味わった後、2125分、ホテルに帰着し、本日の日程を終了した。

(本日の歩数 14353歩)

 

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