第6日目
(6月30日)
(ザコパネ→ヴェリチカ→クラコフ)
今日の午前中はザコパネの観光です。
ここザコパネは、ポーランドの最南部、スロヴァキアとの国境地帯にそびえる2000m級の山々が連なるタトラ山脈の麓に位置し、国立公園にも指定され、平坦な土地が多いポーランドにあって、貴重な山岳リゾートとして人気を集めている所だそうです。
朝食後、9時にホテルを出発、まずは1983年建立の木造教会、ファティマの聖母マリア教会に向かいました。
この教会には次のような謂れがあります。
1981年5月13日、この地でローマ法王が銃弾を受けましたが、奇跡的に一命を取り留めました。この日はその昔ポルトガルのファティマに聖母マリアが出現した日と同じ日であったことから、聖母マリアのご加護で命が助かったということで、2年後にローマ法王のためにこの教会が建てられた由。
実は、ザコパネにはもうひとつ古くからの聖母マリア教会があり、そちらと区別するため、この教会はファティマの聖母マリア教会と呼ばれ、今では巡礼者の来訪が盛んになってきているとか。
手前の銅像はもちろんローマ法王ヨハネ・パウロ2世です。
次いで、観光客らで賑わう自由市場を通ってしばらく行くと山荘風の建物が見えてきました。ケーブルカーの駅でした。乗車し、登ること約5分、標高1136mのグバウフカ山の頂上に着きました。
しかしがっかりしました。東欧アルプスの山々やザコパネの町を望む方角が完全に逆光なのです。
すぐに自由時間になったので、ベストポジションを求めて歩き回りましたが、いい場所がなく、やっと妥協して撮ったのが左の写真です。霞んでますね。実に残念でした。ここの眺望を楽しみ、いい写真を撮るためには、やはり午後に登るべきでしょう。
さて、下に降りた後、再びザコパネの町の観光に入り、まずはバスで町をぐるっとパノラマ観光後、ふたつの教会を訪れました。
左端は1850年代建造のもうひとつの聖母マリア教会です。この地方で建てられた最初の教会で、すべて木材でできています。
祭壇画のブラック・マドンナが印象的でした。(中央写真)
右端は1896年建造の聖家族教会です。こちらは、一部木材も使用されていますが、石造りの教会です。
街なかのレストランで、民族音楽・舞踊を楽しみつつ昼食をとった後、一路北上し、2時間ほど走ってヴェリチカ岩塩坑に着きました。
ヴェリチカは、古都クラクフの南東約15kmのところにある小さな町ですが、この町の地下には、1250年頃から1950年代まで稼動していた、世界有数の規模の岩塩採掘場が広がっています。
中世時は、塩は食品保存に欠かせないため、同じ重さの金と同じ価値があり、国家予算の30%強をまかなっていたそうです。
右の写真は17世紀の広範にできた立抗で、現在は観光用に使われているもので、観光客はこの入り口から入ってエレベーターで下り、地下64〜325mにわたって、複雑に入り組んだ採掘場の一部、約2.5kmを見学できるようになっています。
なお、1978年には、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。
ボレスワフ王と結婚することになったキンガ姫は、王のもとへ向かう途中、トランシルバニアの泉に婚約指輪を投げ入れた。ポーランドに着くと、キンガ姫は、ヴェリチカの住民に地面を掘り起こすように言った。掘ると岩塩の層に当たり、さらに掘り進めると、キンガ姫の指輪が出てきた。(左端写真)
こんな伝説が残るヴェリチカ岩塩坑ですが、日本語の堪能な若い女性ガイドに率いられて地下通路を進むと、採掘跡の空間に岩塩で作られた数々の彫像が並べられていました。王の像、小人の像、採掘工の像(中写真はその一例)、コペルニクスの像などなど。
見学コースの途中には、採掘跡の巨大な空間を利用した礼拝堂から、バレーボールやバスケットボールのコートまで設けられ、それらすべてが岩塩の結晶で作られていました。
まだ、いくつも地底湖にも圧倒されました。(右端写真はその一例)
ここは、日本ではあまり知られてないところだけに、その規模の大きさとともに、新鮮なインパクトを受けました。
ヴェリチカ岩塩坑を後にし、再びバスで40分ほど走って18時30分、クラコフのホテルに到着、小憩後、ホテル内のレストランで夕食をとり、この日の日程を終えました。
なお、これまでは毎日が移動日でしたが、今夜からはここに3連泊です。朝のパッキング作業がないので気分的にも楽です。