第6日目
(4月2日)
旅行日程も後半に入ったこの日、一路、クロアチア随一の観光地といわれるドブロヴニクに向かいました。
7時55分、ホテルを出発し、美しいアドリア海を右手に見ながら、途中、3回ほどの小休止をしつつ、海岸近くの道路を南東に向かって行くこと5時間弱、本ツアーでは一番長い移動時間でした。
11kmばかり、ボスニア・ヘルツゴビナ領を通ったのです。わざわざ通ったのではありません。そこを通らなければ、ドブロヴニクにいけないのです。クロアチアの海岸線がボスニア・ヘルツゴビナ領によって分断されていたのです。国境通過は入りも出も、挨拶程度の簡単なものでしたが、こればかりは来てみて初めて知ったことでした。
右の写真が、そのボスニア・ヘルツゴビナの町ネウムです。
12時45分、ようやくドブロヴニクのとあるレストランに着き、昼食後、現地ガイドのポーラさんの案内でドブロヴニク旧市街の観光に出発しました。
ドブロヴニクは、16〜17世紀頃、東西貿易の中心地として隆盛を極め、その美しい街並みは「アドリア海の真珠」あるいは「アドリア海の宝石」と呼ばれた由。
大火や大地震、まだ記憶に新しいユーゴ内戦など、数々の災難にかかわらず、やはり紺碧のアドリア海に浮かぶように突き出した中世そのままの旧市街は、高さ25mの強固な大理石の城壁に囲まれ、石畳の坂道やメルヘン風のオレンジ色のレンガ屋根が連なり、今なお、永遠の輝きを失わない宝珠のように我々の心を魅了するに十分なものがありました。
左図が旧市街の地図です。
拡大していただければ、市街が城壁で囲まれている様子がはっきりとわかると思います。
中央西(左)側から東に向かって伸びている太い白線が、ピアカ通りといって、元は水路だったものが埋め立てられ、大通りとなったものだそうです。なお、十字のマークのある建物は教会もしくは修道院を表しています。
この街なかを約2時間40分かけて散策観光し、中世の只中にタイムスリップしたかのような気分を堪能しました。
主なものを写真でご紹介しましょう。
左端の写真は旧市街の西側の入り口ピレ門です。数世紀にわたり主要門として使われてきたもので、現姿は16世紀末以来のものとか。拡大していただくと、上部に彫像が埋め込まれているのがお分かりと思いますが、それはドブロヴニクの守護聖人ブラホということで、この方の彫像は街のいたるところで見られました。
2番目は先ほど地図でご紹介したピアカ通りです。西側から東側を撮ったものです。何となく中世的雰囲気を感じますね。正面の塔は市庁舎の鐘楼です。
次の写真は、2番目の写真ではちょっと引っ込んでいるため見えませんが、プラカ通り右手奥にある守護聖人ブラホを祀る聖ブラホ教会です。14世紀にロマネスク様式で建てられた建物が1709年に焼失したため、1715年にバロック様式で再建された由。毎年2月3日には聖ブラホの祭礼が盛大に行われ、近隣から集まる人々でプラカ通りが埋め尽くされるほどだそうです。
右端は聖母マリアを祀る大聖堂です。この建物もロマネスク様式からバロック様式に建て替えられたものですが、古くは英国の獅子王リチャードが十字軍遠征の帰路、船の難破で危うく命拾いした際、その感謝の意を表すため、建設資金の一部を奉納したといわれています。そのため以前は豪華な装飾で飾られていたそうですが、現在の建物は、外部、内部とも比較的素朴な印象を受けました。
この日の夕刻、ドブロヴニク新市街のホテルに入り、日程を終えました。明日もここ泊まりです。