第6日目
(4月13日)
アンタルヤ → パムッカレ
本日の午前中はアンタルヤ周辺に残る古代ローマ遺跡の観光である。
アンタルヤ周辺の平野は古代パムフィリアと呼ばれ、ギリシアの植民地時代から都市が築かれ繁栄した地域で、見応えのある遺跡が数多く残っている。
8時28分、ホテルを出発、まずはアンタルヤの北東16kmにあるペルゲ遺跡へ向かう。
ぺルゲ遺跡
ここは、BC4世紀にアレキサンダー大王のマケドニア領として歴史に登場して以来、この地方の古代都市の中で最も繁栄した広大な町で、聖パウロも布教に訪れているとか。
しかし、町が丸ごと遺跡となってその姿を今に伝えてはいるものの、今や損傷が激しく、崩れかけた城門やアゴラ(集会広場)跡の茫漠たる光景が無常を感じさせて止まないものがあった。
2世紀の長円形の競技場跡が残っているが、これはトルコの他の遺跡では見られない貴重なものである由。
アスペンドス遺跡
ペルゲ遺跡から東へ行くこと30分、アスペンドス遺跡に着く。
ここは、ヒッタイト時代から集落のあった沃野で、ギリシア人が築いたポリスはアレキサンダー大王の東征で破壊され、ローマによって再建されたもの。
圧巻は、2世紀、マルクス・アウレリウス帝時代に造られた収容能力2万人という野外劇場で、観客席だけでなく、付属の建築物もほぼ完全な形で残っていて、野外劇場の全貌がよく分かるようになっている。
なお、この劇場跡は現在もフェスティバル会場として使われているという。
シデ遺跡
アスペンドスから更に南東に30分ほど行った海岸べりにあるのがシデ遺跡。
ここは、BC7世紀ごろ、イオニアの植民都市として開け、奴隷売買によって発展した都市遺跡で、現在の遺構は全盛を極めたビザンティン時代のものとか。
ここにも2世紀に造られた2万5000人収容の野外劇場があるが、海に接しているためか、アスペンドスの劇場に比べて損傷が激しい。
劇場のほかにも、いろいろな遺構があったが、廃墟の中にローマ門ががっしりと根が生えたように立っているのが印象的であった。
シデ遺跡を後に一旦アンタルヤの町に戻り、城砦の塔を利用したムーディなレストランで昼食を楽しんだ後、、北西に向かい、途中、2度のトイレ休憩をはさみ、バスに揺られること4時間半、パムッカレ近郊の町デニズリの「パラツ・ホテル」に到着したのは丁度19時であった。
1時間後、ホテル内レストランで夕食をとり、この日の日程を終えた。