4日目

( 527)

ティベリア→タプハ→カベナウム→クムラン→エン・ボケック

 

8時05分、ホテルを出発。今日は土曜日で安息日とあって、ティベリアの町はほとんどの店が閉まっており、平穏そのものである。説明: 説明: 説明: map%20of%20galilee

ガリラヤ湖周辺は、キリストが人々に教えを施し始めたゆかりの地で、現代のキリスト教徒も一年中絶えることなく世界中から巡礼に訪れるとか。

まずは、穏やかな湖を右手に眺めながら、イエスの足跡が数多く残っているタプハへと向かう。

この淡水湖で、イスラエル全土の3分のTの生活用水をまかなっているという。

イスラエルには他に死海というガリラヤ湖の数倍にも及ぶ大きな湖があるが、そこはヨルダンとの国境にあたり、また塩分濃度が桁外れに高いのでとても生活用水には利用できず、他には大きな湖のないこの国にあっては、ガリラヤ湖の存在が、いかにイスラエル国民にとって重要なところか理解できよう。

途中、マグダラの町を過ぎる。ここは、キリストの最後を看取ったと伝えられるマグダラのマリアの出身地である。昨日のナザレに続き、聖書の世界に今日も浸ることになる。穏やかな気候と美しい風景に恵まれたこの土地なら、キリスト教徒ならずとも心和む思いである。

山上の垂訓教会(右上地図@)

910分、ガリラヤ湖を見下ろす小高い丘の上に建つ山上の垂訓教会に着く。

説明: 説明: 説明: israel4-1ここは、緑が繁り、バラの花が香る静かで豊かな雰囲気に満ちており、その昔イエスが群集を前に八つの有名な教えを語られ、また12人の使途を選んだとされる場所である。現在の教会は、193638年、説明: 説明: 説明: israel4-2聖フランシスコ教会によって、その八つの垂訓にちなんで、8角形の美しいフォルムに建てられたもの。当時のイタリアの首相ムッソリーニの援助があったとも言われている。

内部の祭壇は、明るく清らかな雰囲気に包まれ、また花が咲き乱れる丘から見下ろす湖の眺めは、まるで天国にいるかのような素晴らしい景観(前章ガリラヤ湖参照)であった。

さて、ここでその山上の垂訓とはいかなるものであったか、ご紹介しよう。あまりに有名な言葉だけに、キリスト教徒でなくとも、このうちいくつかは耳にされたことがおありだろう。

心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。

柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え乾く人々は幸いである。その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は幸いである。その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。

なお、かつてヨルダン・イスラエル和平がなった際、クリントン大統領が演説の中で「平和を愛するものは幸いである。その人は神の子と呼ばれる」と、この7番目の垂訓を引用している。

パンと魚の奇跡の教会(右上地図A)

説明: 説明: 説明: israel4-3丘を下って次ぎに訪れたところは、イエスが5切れのパンと2匹の魚で5000人の腹を満たすという奇跡を行ったという言い伝えを記念して建てられた教会で、内部にはメンザ・ドミノス(主の食卓)と呼ばれる自然石が残っており、その説明: 説明: 説明: israel4-5手前の床にビザンティン時代に描かれたというパンと魚のモザイク画がある。

説明: 説明: 説明: israel4-4それにしても境内のそこかしこに咲いていたブーゲンビリアの美しかったこと! しかもその内の1本は見上げるような巨木で、こんな大きなブーゲンビリアを見るのは生まれて初めてであった。

ペテロ首位権の教会(右上地図B)

次いで、バスで少し下ってガリラヤ湖畔の聖地へと移動し、ペテロ首位権の教会を見学する。

説明: 説明: 説明: israel4-6ここは、キリストの弟子の中でも特説明: 説明: 説明: israel4-8に師に愛されたシモン・ペテロが初めて師から「私の羊たちを導く鍵をお前に託す」といわれた場所。つまりは、ここでペテロが一番弟子と認められたということからこの名がある。

また、師の悲痛な予告「お前は鶏が鳴く前に私を三度否定するだろう」の説明: 説明: 説明: israel4-7言葉通りに師を裏切ってしまった後悔の日々の後、復活した師と再び出会った場所ともされている。

ちょうど境内ではミサが行われており、大勢の信者が賛美歌の合唱に続いて、一人づつ聖杯を受けていた。杯を授けているのが牧師ではなく、極説明: 説明: 説明: israel4-9めてカジュアルな服装の女性だったのが不思議であったが----- それにしても厳かな雰囲気が漂い、聖地にいるという感慨に浸るに十分な光景であった。

教会の中に入ると、大きな岩を横たえた祭壇があるのがすぐ目に入った。言い伝えによると、この岩の上で、復活後のイエスが弟子たちと食事をしたということで、この教会は、キリストの食卓(メンザ・クリステイ)という別名を持っているとか。

カベナウム

ガリラヤ湖北岸にあるカベナウムは、イエスが最初の弟子を選び、病人や悪霊に取りつかれた人を癒し、死人を蘇らせ、多くのたとえ話を語って聞かせた「布教の本拠地」として聖書にも度々登場する街である。イエス時代のカベナウムは、人口4〜5万のガリラヤ湖周辺では一番大きな町であった由。

シナゴーグ跡

イエスが宣教した頃のカベナウムはローマ人らによって滅ぼされ、もちろん現在は残っていない。僅かに今は廃墟となった4世紀頃に建てられたシナゴーグ(ユダヤ教会)跡の柱や梁の石材に、ユダヤの特徴的な図形、ダビデの星、ソロモンの星、ユダヤの七枝などが彫られているほか、周辺にはオリーブの圧搾機や臼などもあり、往時の輝きを偲ばせてくれている。

イエスはここを第2の故郷とし、この地のシナゴーグで宣教していたといわれている。と言うことは、イエスはあくまでユダヤ教の教義に基づいて活動していたことになろうか。ただし、イエスが実際に宣教した頃のシナゴーグは、まだこの下に埋まっているとのことだが――

ともあれ、遺跡の内まずは代表的なもの4点をご紹介することとしたい。

説明: 説明: 説明: israel4-11

説明: 説明: 説明: israel4-12

説明: 説明: 説明: israel4-13

説明: 説明: 説明: israel4-14

ぶどうの房と壷

柱やまぐさ石の一部

まぐさ石に刻まれた四輪車

オリーブ油を圧搾する石臼

 

そのほか説明は省略させていただくが、上の神殿跡の写真か、もしくはここをクリツクすることにより、「イエスの街」、シナゴーグおよびその周辺の遺跡の状況を連続写真でご覧いただくことにしたい。

このほか、聖書でペテロの姑の家とされている廃墟の上に魚の形を思わせる近代的な吊り式の教会が建っていたが、これは歴史的にはさして意味がなさそうなので割愛させていただく。

 

( 続いて次ページをご覧ください )

 

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