第7日目
(11月7日)
ビエンチャン終日観光
ツアーも後半に入りました。半ばまではまだまだ先が長いと思うのですが、半ばを過ぎた途端に日の経つのが早く感じられるようになり、あっという間に帰国の日になってしまいます。
今日は午前中はビエンチャンの市内観光、午後はラオス最大のイベント、タートルアン祭の見学が待っています。
ここビエンチャンはラオスの首都で、ラオスの中部、ビエンチャン平野の南端、メコン川中流の北岸に位置し、対岸はタイ領のノンカイとなっています。
市名の”ビエンチャン”は「白檀の木の城塞」という意味だそうで、河川、道路、空路によって国内各地と通じ、文字通りラオスの政治・文化の中心である由。
午前中、最初に訪れたところはブッダ・パーク。正式名はワット・シェンクアンという寺院ですが、多くの仏体が無造作に置かれているところから、いつの間にかブッダ・パークと呼ばれるようになったそうです。
入場すると、まず巨大な寝仏が目に付きました。(下左写真)
敷地内には、仏教の像だけでなく、ヒンズー教の神々も祭られていて、なかには一体どの宗教の神様?と考え込んでしまうような奇妙なオブジェも並んでいました。
下中央写真のカボチャのような建物は、中に入ることができ、頂上からは公園全体を見渡すことができました。(右写真)
ちなみに屋上の炎のようなオブジェは天国を表しているということです。
次に向かったのは、タイとの国境をなすメコン川に架かる友好橋です。
この橋はオーストラリアの援助を受け、1994年にメコン川に初めて架けられた端です。全長は1174m、幅は12.7mで、片側1車線ずつに歩道がついているほか、中央には単線の鉄道を敷設できる構造になっています。
しかし鉄道はラオスの経済事情もあり、いつ開通するかは不明だそうです。
この橋の上をどんどん歩き、ちょうど真ん中のタイとの国境ぎりぎりまで行ってみました。
午前中最後の観光場所はサラート・タオ。ここはその規模、商品の量とあらゆる面においてビエンチャン最大の市場で、ちなみにサラートとはマーケットという意味だそうです。
建物内には、日用雑貨や電化製品、時計や宝飾品などのほか、民芸品などの土産店もあり、ありとあらゆるものが売られていました。
ラオスでの土産を探すなら、ここが最適の場所といえましょう。
昼食後は、いよいよ本ツアー最大の目玉である、タートルアン祭の見学に向かいました。
タートルアンは、紀元前3世紀ころを起源とし、1566年に当時のセタティラート王によりほぼ今の形に再建された、高さ45mの黄金の塔で、ビエンチャンだけでなくラオス全土のシンボルといわれています。
外壁の一辺の長さは約85mの正方形で、中には草地に囲まれた3段構造の仏塔があり、メインの大仏塔を無数の小仏塔が二重に取り囲んでいます。(右写真)
そして、タートルアン祭は、旧暦12月の満月の日を中心に行われる、ラオス最大級の行事といわれ、この時期にあわせてラオス全土から僧侶がここに大集合するそうです。
祭りの期間は1週間で、この間、正装した市民が蝋燭や線香、お供え物を持って続々参拝にやってきます。
ちょうど今回の我々のツアーはその時期にぶつかり、本日の見学となったわけです。
行進が始まるのは14時30分ということで、我々はそれより1時間以上も前に着きましたが、もうこの仏塔の周りには、待機する僧侶や市民たちで一杯でした。
それでも何とか見やすい場所を確保し、待つことひさし、行進が始まりました。参拝者は思い思いのお供物を持ってこの仏塔の周りを3回まわるのです。
驚いたのはそのお供え物です。殆どの人が紙幣をつなぎ合わせて花のように設えたものを持っているのです。決して豊かではないラオスの人々ですが、その信仰心からここで喜捨することをむしろ誇りに思っているようでした。
我々日本人にとっては、仏教は単なる生活の一部にしか過ぎませんが、仏教国ラオスの人々にとっては、仏教こそが生活の基盤になっているからでしょうか。
どうぞ、拡大して紙幣であることを確認してください。
それにしても暑い日でした。当初は各自見学後、17時に所定の場所に集合ということでしたが、とても我慢しきれず、1時間繰り上げて16時にしてもらい、残留希望の一人だけを残し、ホテルに戻りました。
帰室後、入浴し、着替えて、19時に再び出発、街なかの中華レストランにて夕食を済ませ、20時過ぎホテルに帰り、この日の日程を終えました。
なお、私は行きませんでしたが、希望者のみ、ライトアップされたタートルアンを見に再度出かけたようですが、人込みで身動きがとれなかったそうです。