第8日目
(11月8日)
ビエンチャン → パクセー
早朝、空路、ラオス南部の18世紀チャンパーサック王国が誕生したパクセーへ向かいました。
何しろホテル出発が5時15分と早かったため、朝食はボックス弁当をビエンチャンのワッタイ空港でとりました。
1時間あまりのフライトで、パクセー空港には8時前に着き、手荷物が揃うのを待って、直ちにマイクロバス2台に分乗し、船発着場に移動、救命胴衣を着けてボートに乗船し、メコン川を下って本日の観光地チャンパーサックに向かいました。
1時間強の航行でした。上陸後、陸路を走ってきたマイクロバスに乗車、高床住宅の並ぶ道を行くこと約20分、ワット・プー遺跡の入口につきました。
まずは日本が援助したという遺跡保存庫で遺跡出土品を見学後、徒歩にて遺跡の見学に向かいました。
ワット・プー遺跡は、クメール族がこの地を征服した5世紀ころに建設が始まり、12世紀ころに完成したといわれています。クメール族はカンボジアまでその勢力を伸ばし、クメール文明を築き上げたので、この遺跡とアンコールワット遺跡とは大変よく似ています。
入口の手前に大きな池がありましたが、ここでは毎年2月にワット・プー祭が開かれ、ボートレースが行われるとか。
入口を入ると、男性器のシンボルであるリンガが並ぶ参道に出ました。(右写真)
誰かが、「これぞ、セイキの大発見!」なぞと駄洒落を飛ばしていました。
参道の両側は聖地バライですが、水はとうに枯れてしまっていました。
この参道を5分ほど歩き、階段を数段上ると、そこには2つの宮殿跡が向かい合って建っていました。左側が南宮殿(女の宮殿)(下左写真)、右側が北宮殿(男の宮殿)(下中)で、いずれも11世紀に建立され、宗教的儀式に使用されたとのことですが、正確なところはわかっていないそうです。
更に進むと、左側にナンディン宮殿跡が現れました。これも11世紀半ばに建てられたシバ神を祭る宮殿で、水牛をモチーフにしたものだそうですが、現在は土台しか残っていません
更に崩れかけた階段を、滴り落ちる汗を拭き拭き喘ぎながら登ること数十段、やつと本殿のある山頂部に出ました。
振り返ると、木々の間から今来た道や、遠くチャンパーサツクの町まで見渡せ、疲れを癒してくれました。(下左写真)
本殿は階段の正面にありました。(下中)
中に入ると、中央に4体の仏像が安置されていましたが、これらは後に持ち込まれたものらしいとのこと。(下右)
本殿の主役は、ヒンズー信仰の対象であるシバ神で、その他はこのシバ神を守る神だそうです。
中央部には、やはりヒンズー教の信仰対象であるリンガが納められており、これに水をかけることがヒンズー教の儀式のひとつとか。そのため近くの泉から水道を敷設されていますが、ここのシステムは、ワット・プーならでのものである由。
この本殿の彫刻は細かく美しく、確かにアンコールワットの彫刻を髣髴させるものがありました。
チャンパーサックの町に戻ってゲストハウスで昼食後、フェリーでメコン川の対岸に渡り、今夜の宿泊地パクセーに戻るべく、マイクロバスで向かいました。
フェリーといっても、我々が想像するものとは大違いで、平べったい電動筏といったほうがイメージしやすいかもしれません。写真を撮り忘れたのは残念でした。
さて、パクセーの町に入ったところで、まだ時間が早かったためか、予定にはなかったダオファン市場で下車、30分ほど時間をつぶしました。
チャンパーサック・パレスホテルには15時15分に到着。ここは元チャンパーサック王国の宮殿を改装してホテルにしたもので、まずはその堂々たる構えの外観に驚かされました。(下左写真)
内部はしたがって各部屋が一様でなく、広さも違うため、抽選で部屋を決めることになりました。
私の当たった部屋は4階で、素朴ながら広さが十分あり、まずまず不満のないものでした。(下中央)
テラスからはメコン川を展望でき、なかなかの景観でした。(下右)
時間は早かったですが、今日は朝が早く、かつ暑い中を歩いたので、あえて外出せずに身体を休めることとし、夕方になってホテル内のレストランで夕食をとり、日程を終えました。