サンティアゴ・デ・コンポステラ
サンティアゴ・デ・コンポステラは、スペイン北西部ガルシア自治州の首都で、人口こそ9万あまりとそれほど多くありませんが、中世の雰囲気を今に伝える数少ない門前町として独特の雰囲気を残しており、特に9世紀初頭にキリスト12使徒のひとり聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の墓が発見されてからは聖地として脚光を浴びるようになり、ヨーロッパ各地からの巡礼者の群はひきも切らず、多いときには年間50万もの人たちが、老いも若きも、富める者も貧しき者も、この地を目指して歩いたといわれています。
旧市街には、聖ヤコブを祀るカテドラルを始め、教会が多く、また大学の町らしく学生の姿が目立ち、一方、昔ほどの数ではなくなった巡礼者のかわりに、今では内外からの観光客がひっきりなしに訪れるようになっているようです。
7月3日の19時、当地に着き、翌4日、現地ガイドの案内で、旧市街を 「マサレロス広場」→「大学」→「教区教会」→「市場」→「イエズス会修道院」→「セルバンテス広場」→「サン・マルティン・ピナリオ修道院(現神学校) 」→「オブラロイド広場」と徒歩観光し、最後に「カテドラル」に入って見学しましたが、街中至るところ ヤコブに始まりヤコブで終わる、言わば、ヤコブ一色の街という印象を受けました。
カテドラル
10時、さぁいよいよ待望のカテドラル入場です。「カテドラル」とは、もちろん「大聖堂」の意味です。
四方に大小4つの広場を配したこの建物は、当初(11〜13世紀)はロマネスク様式で建設されましたが、後年、増・改築が加えられ、ゴシック・ルネサンス、バロックの各様式が折り重なるようにできています。
オブラロイド広場に面した階段を登ってバロック様式の正面入口から中に入ると、中央祭壇に通じる身廊への「栄光の門」がありますか、これはスペイン・ロマネスクの最高傑作と評価を受けているとのこと。3つのアーチの上は夥しい数の彫刻像で埋められ、中央の大理石の柱の上には聖ヤコブの像が刻まれています。この柱の下部には人間の手がちょうど入るくらいの窪みができていますが、これは遠路はるばるたどり着いた巡礼者たちがまず入口のヤコブ像の柱に手をついて祈りを捧げるのを慣わしとしてきたため、長い年月の間に磨り減ってしまったものとか。ミーハーの虫が蠢き、クリスチャンでもない私も真似して祈りを----------
カテドラル内部は広々としており、厳かな雰囲気ですから、我々観光客も極力静かにするようよう求められます。スペイン人にとってもサンティアゴ詣では、日本人のお伊勢参りのように、一生に一度は訪ねたいところのようで、敬虔なスペイン人信者の姿も多くみられます。中央祭壇には聖ヤコブの像が祀られていて、信者は後ろにある階段を登って聖ヤコブのマントにキスする慣わしがあります。更に祭壇下へ通じる階段を降りると、聖ヤコブの遺体を納めた銀の棺があります。私もさすがにマントへのキスは遠慮しましたが、棺は瞬時見ることができました。
特筆すべきは、ちょうど聖堂内部で行われるミサを見られたこと。そのミサで最大の見せ場である、巨大な香炉が宙を舞う儀式は圧巻でした。
「ボタフメイロ」と呼ばれるこの儀式は12世紀から行われているそうですが、香炉の大きさは80kgもあり世界最大の大きさで、香炉が振り子のように高く空を舞う光景はまさに荘厳そのものでした。このボタフメイロの儀式は、現在は単なる儀式になっているようですが、もともとは、大勢の巡礼者が遠い道のりを汗まみれになって歩いてきた体を清めるために行われたものだったそうです。
大学
大聖堂の見学を終え、次に旧市街を抜けたところにあるサンティアゴ・デ・コンポステラ大学に向かいました。
サンティアゴ・デ・コンポステラは宗教都市であり、観光都市でもあり、また学生の街で、州行政の中心でもあるという異なった顔を持っています。
サンティアゴ・デ・コンポステラ大学は学生数3万人を擁するスペイン有数の大学のひとつであり、ガリシア地方で最も伝統ある大学とのこと。折角ですから、そのキャンパスの一部を覗いてみました。夏休み中とあって構内はひっそりとしていましたが、落ち着いた佇まいの中庭に彫像があり、てっきりこれも聖ヤコブ像かと思いましたが、近づいてみたら、それはかつてのレオン王アルフォンソ3世の像でした。
エラドゥーラ公園
サンティアゴ・デ・コンポステラ大学の傍の小高い丘に広がっている公園で、木立が多く、格好の散歩コースになっています。
ここからは大聖堂を始め旧市街が一望できることから、市民の憩いの場所として人気があるようです。
街中の喧騒から離れ、緑に囲まれて、旅の疲れを忘れさせてくれるひと時でした。