第6日目(午後)
(7/7)
サマルカンド
昼食後、暑い日差しを避け、1時間ほど各自の部屋で休息を取り、15時35分、午後の観光に出発する。
まず最初は、街の北西に位置するサマルカンド発祥の地、アフラシャブの丘の麓にあるアフラシャブ考古学博物館へ。
ここには、アフラシャブの丘で発見された土器や貴金属類、貨幣などが展示されていたが、現地言語のみで英語の標記すらなく、分かりづらかった。
最大の見どころは、1階にある7世紀の領主の家から発見されたという、ソグド人の生活ぶりを描いた壁画室で、そこには青地を背景にひとこぶ駱駝に乗った2人の外国人使節、白鳥、ボートに乗った貴人など当時の様子が鮮やかに描かれていた。
次いで、アフラシャブの丘に登る。
丘といっても、高さはせいぜい50mほどなので、体調不良の私でも登れたが、炎天下で何も遮るものがないのには参った。
かつては古代サマルカンドとして栄えたこの丘も、今は荒野と化し、当時を偲ばせるものは何一つ残っていない。それは、13世紀にチンギスハーン率いるモンゴルに攻め込まれたためであるが、チンギスハーンはあまり血を流すことをせず、この街の給水システムを破壊することで、この街を征服したとか。それによって、ほとんどの住民が現在のサマルカンドに移り住んだ由。
なお、現在この丘は、フランスとウズベキスタンが共同で発掘調査を行っているとのこと。
さて、本日最後の観光スポットは、アフラシャブの丘の南側一角を占める霊廟群、シャーイ・ジンダ廟。
ここには「生ける王=シャーヒ・ジンダ」の伝説を持つクサム・ブン・アッバースとティムールの一族が葬られているとのことだが、あまり交換修復されていない装飾タイルがひなびた味を出し、いい雰囲気を醸し出している。
入口から階段を登って細い道に沿って進むと、両側に幾つもの廟が連なっていて、さながら死者の街といった感あり。一番古いといわれるクサムの廟は奥の右手にあった。
なお、ここにも次のような伝説があるとか。
クサムはイスラム教の開祖ムハンマドのいとこで、676年、初めてサマルカンドにイスラム教を伝えた人物。677年、礼拝中にゾロアスター教徒に襲われて首を切られたクサムは、動じることなく、自分の首を持ち、深い井戸に入っていった。彼はここで永遠の命を得て、イスラムが危機に陥ったとき、救いに現れるだろう。 |
この伝説がもとで、クサムは永遠に「生ける王」と信じられるようになり、廟が建てられ、巡礼者を集めるようになった由。
また、昇りと降りの階段の数を数えて、同じだったら、天国へ行けるとのこと。私は数えなかったが、もし違っていたら、地獄へ落ちることになるのだろうか?
下右端の写真は、クサム廟内のメフラブで、例のメッカの方向を示す窪みである。
以上で、本日の観光を終え、17時50分、ホテルに再帰着。1時間後に外のレストランに夕食に出ることになり、私も一旦は行くつもりでロビーに降りたが、いかにも食欲がなく、パスすることにし、部屋にとって返した。
後刻、添乗員さんが心配して来てくれ、ゼリーを差し入れてくれたのは有り難かった。
(本日の歩数 10,666歩)