6日目(午前)

 (7/7)

 

 サマルカンド

 

615分起床。下痢はまだ収まっていないが、吐き気のほうはやや落ち着いたので、朝食に降り、パンと果物のみ、ちょっぴり口に入れた。

今日は終日サマルカンドの観光である。

サマルカンドは、かつて様々な民族の支配を受けながらも、16世紀頃までは文明の中継地として発展、特にティムール時代には帝国の首都となり、今や世界遺産となる、美しい「青の都」が生まれたところ。体調悪くとも、今日一日を空費するわけにはいかない。

 

832分、バスにて観光に出発。7分ほどで、サマルカンドのハイライトともいうべきレギスタン広場に着く。

レギスタンとは砂の広場という意味だそうで、今でこそ綺麗に舗装されているが、かつてはこの辺りも砂漠だったことを思い起こさせる。

向かって左からウルグ・ベク、ティッラ・カーリー、シールダールの3つのメドレセがコの字型に並ぶ様は圧巻そのものであった。

これらのメドレセはイランのシラーズ出身の建築家の手によるものといわれ、そのフォルムの美しさに瞠目したが、ただ、門から中庭に入ると、いずれの中庭も周りの小部屋がすべて土産物屋になってしまっているのには幻滅を覚えざるを得なかった。

 

以下、各メドレセごとにご紹介したい。

まず初めは、向かって右側のシールダール・メドレセを見学。

シールダールとはライオンという意味だそうで、正面のアーチにはライオンと人間の顔が描かれていた。もつともこのライオン、ライオンというより、むしろ虎に近いような気がするが… ライオンはまた、サマルカンドのシンボルであるともいわれ、この建物は1636年にイマーム・サリーによって、真向かいのウルグ・ベク・メドレセを模倣して造られたそうであるが、3つの中では一番美しく感じた。

外壁、内壁とも、青の都を象徴する見事な装飾で彩られていたが、特に内壁はほぼ、当時のままの美しさを残しており、つる草、又は鳥の羽根を模したルミ模様、想像上の花をモチーフにしたハタイなどが隙間なくタイルに描かれていた。

偶々今回のツアー参加者の中に細密画の先生をしておられるご婦人がおられ、いろいろ説明を伺うことができたが、この隙間を埋めるというのは、悪魔が入ってくるのを防ぐという説と、中心から外へと模様が広がっていく、いわば無限の様子を表しているという説に分かれているようである。

 

次いで、真向かいのウルグ・ベク・メドレセへ。

ここは3つのうちで最古の1420年建造の神学校で、初めはここでも神学生を対象にイスラム教の教義や作法を教えていたが、やがて貧しい家の子弟を集め、天文学や数学、哲学などを教えるようになり、中央アジアの文化と学問の伝導と研究の場として大いに寄与したといわれる。

ところで、両側にミナレットが建っているが、右側のが少し傾いているのにお気づきだろうか? ( 拡大していただければ、もっとハッキリすると思います。)

これは空の重さを支えているからとのこと。

 

最後は、中央に構えるティッラ・カーリーのメドレセへ。

この建物は、ティムール朝崩壊後、1660年になってこの地方の領主が建造したものである由。

ティッラ・カーリーとは金で覆われたという意味だそうで、その名の通り、礼拝所の天井は金箔で覆われている。建設時に金5kg、修復時にも3kgが使われたとか。

天井は、一見まるいドームのように見えるが、実は平面に遠近法を使って描かれたもの。その見事な技法に感服した次第。

なお、ここはメドレセとされて入るが、実際にはモスクとして使用されたとのこと。

 

1025分、レギスタン広場を後に、再びバスに乗り、行くこと15分、次いでメロスという職人工房に立ち寄る。

ここでは、まず昔から伝わる、樹皮から作る紙すきの工程を見学した後、粘土を使って各自思い思いの作品に挑戦した。

私は、作品のモデルを見ながら、ヒツジに挑戦、30分ほどで出来上がったのが、右の作品である。えっ!私が作ったにしては、ちょっと上手すぎるんじゃないかって? ご尤も。半分は職人さんが手伝ってくれたのだ。

 

想像を絶する暑い日差しの中、更にバスにて次に向かったのは、ビビ・ハニム寺院

ここは、サッカー場がすっぽり入るほどの中央アジア最大のモスクで、1398年にインド外征から戻ったティムールが、各地の建築家、美術家を集めて作らせたが、このモスクが完成したのはティムールの死後3年目だったという。

130m*102mの回廊の四隅にはミナレットが建ち、メインの大モスクの両脇には小モスクがあったといわれるが、19世紀末の地震で、ミナレットは折れ、アーチは崩れて廃墟となったそうである。1974年から始まった修復作業で、かなり復旧したらしいが、アーチ脇のミナレットはいまだその姿がなかった。

以下、強烈な日差しの中、広大な構内を重い足取りで歩き、そこかしこに残るブルーのタイルなどから、当時の栄華を偲んだ次第である。

 なお、このモスクには次のような伝説があるという。

テイム−ルの愛妃ビビ・ハニムは、外征中の夫を驚かそうと、巨大なモスクを建造させるよう、建築家に命じた。ティムールの凱旋前に完成させることが絶対条件だった。ところが、妃に恋した建築家が彼女にキスを求め、もしそれが許されないのなら仕事は続けない、と言い出した。困った妃は、結局いうことを聞き、頬を建築家に差し出したが、キスマークが残ってしまった。

サマルカンドに凱旋したティムールは完成したモスクを見て喜んだが、やがて妃の頬のキスマークに気がつき、建築家を死刑にし、彼女には二度と他の男を誘惑できないようにと、以後、ヴェールで顔を隠すよう命じたという。

一方、妃は完成した塔の上から投げ落とされたという言い伝えもあるが、ビビ・ハニムと言う名の妃は実在しなかったとも言われている。

 

さて、既に12時半近くになっていたが、昼食前最後の観光スポットは、ビビ・ハニム寺院のすぐ北隣にあるシャブスキー・バザール

サマルカンド最大のバザールで、農作物や食料品が主だが、メロンやスイカ、ぶどう、桃などのフルーツがとても安く売られていたほか、手作りのナンやピロシキも並んでいた。

一方、建物の東側の道路では日用品や衣服の店も並んでいたが、こちらは案外高い感じであった。

それにしても、太陽が真上とあって、その暑いこと! いくら慣れているとはいえ、地元の人らの元気ぶりはどこから来るのであろうか?

 

1314分、ホテルに帰着。1330分から昼食( 前菜、スープ、ぶどうの葉で牛肉を巻いた煮物、おかゆ )となったが、相変わらず食欲はなく、おかゆなど消化のいいものを選んで、ちょっと口をつけただけですませた。

 

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